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毎日ブログ

2026/02/27
832/1000 知ろうとすることは、素敵なことだ   

倫理法人会の派遣講師で、茨城県笠間市にお邪魔している。

羽田から電車に揺られて約2時間。

 

今回もそうだが年に何回か、自分ではきっと行かないであろう土地に派遣される。

これが面白い。

 

笠間は坂本九の出生の地ということで、

近隣の主要駅である常磐線友部駅では「上を向いて歩こう」が駅のチャイムで流れていた。

 

友部駅から水戸線に乗り換えてすぐの笠間駅、駅前のロータリーは400mトラックより小さいイメージ。

その駅から徒歩1分の旅館風ビジネスホテルが、先方が手配した宿だった。


当然和室で、トイレも風呂も共用。

高校生の時こんな旅館でバイトをしていたので、

なんだか懐かしい。

 

2階の部屋に通され、することが無いので幅広の窓枠に座り、駅前のロータリーをぼんやりと眺める。

聞き慣れない鳴き声の鳥が防災無線の鉄塔に止まって、しきりに鳴いている。

信号のない横断歩道では、車優勢の地域がらで、全ての歩行者が立ち止まる。

 

無名の私が、初めて訪れる町で、

初めてお目にかかる無名の人たちと、講演会をつくっていく。

 

初対面のというのは街でも人でも先入観が、相手をどんどん固めていく。

きっとこんな所だろう、きっとこんな人だろう。


これまでの自分のデータベースから、それらしいデータと照合して、決めつけが始まる。
だが、一人ひとりに向き合うと違う。町を少し歩いてみると違う。

 

興味を持って知ろうとすれば、先入観とはまったく違う人となりが、

町の輪郭が、静かに立ち上がってくる。知ろうとすることは素敵なことだ。

 

無名とは、知らないというだけのことだ。

もちろん、相手も自分のデータベースから私をプロファイリングしてくる。

主催者の第一声が「真面目そうな人だね」だった。そこには「つまらなそう」というニュアンスが含まれているように感じた。

無名の私の講演会。

もちろん大きな期待があるわけではないだろう。

それでも全力を尽くす。

 

講演会が終わって、どうやら第一印象とは違った感想を持ったであろう主催者が駆け寄ってきた。


講演会は成功したようだ。

2026/02/25
830/1000 青いのはとにかくいい   

高校生の息子が「本棚を買ってくれ」と言った。

組み立てて、一緒に本を並べ替える。背表紙には、私の知らないタイトルが並ぶ。ちゃんと自分の世界を歩いているのだな、と少し嬉しくなる。

「どれか貸してくれ」と言うと、差し出されたのは

『20代で得た知見』(F 著)だった。

全く知らない本だったがページを開くと、痛々しいくらい素の人間の“生”のつぶやきが、そのまま綴られている一冊だ。格好もつけず、正しさにも寄りかからず、ただ心の奥にある感情を差し出してくる。その世界観に、ニヤリとしてしまった。

 

高校生の頃の自分もここに呼び寄せて一緒に読み進める。当時、未来は広くて、めちゃくしゃ怖かった。期待もあるのに、不安のほうがはるかに大きい。自分は何者になるのか。どう生きるのか。と

48歳になっても、問いは消えない。経験は増えた。失敗も重ねた。それでも世界は広いままだ。進めば進むほど、まだ知らない景色がある。不安と期待は、今も隣り合わせだ。

 

この本のテーマは、私にとっては「愛」だなと感じた。

どう自分を愛すのか。

どう人を愛すのか。

16歳にも16歳なりの答えがあり、

48歳には48歳なりの答えがある。

 

この本を、寝る前に少しずつ読みすすめるのが最近の楽しみだ。

 

あからさまな反抗期も無いように思える、いわゆる良い子である息子。

だがこんな本を読んで

ちゃんと悩み、ちゃんと青春をしている。そのことが何より嬉しい。


16歳も、48歳も、

同じ問いを抱えながら、生きている。

きっと98歳になっても同じようなことを言っているだろう。
青いのはとにかくいいよ。

2026/02/23
828/1000 メダルの色も薄れるオリンピック   

冬のオリンピックが終わると、やはり少し寂しい。

あれだけ毎日、家族で一喜一憂していた時間が、ふっと静かになる。


開幕当初、カーリングを「床を擦るやつ」と言い、「羽生結弦はどうしたの?」と言っていた妻が、中盤からは
「ショーン・ホワイトが観に来てたよ」とか自然に口から出る。
オリンピックのコンテンツとしての不動の強さを感じる瞬間だった。

けれど今回、強く感じたのは、日本人選手の“存在感”だった。

 

以前のような「国を背負う」という空気は、どこか薄れているように思う。

もちろん代表であることに変わりはない。けれど悲壮感よりも、自分をどう表現するかに重心がある。

それがとても気持ちよかった。


技の難易度やメダルの色以上に、

「これが私の滑りです」

「これが今の私です」

と差し出している姿が印象に残った。

楽しんでいる。

 

もちろん簡単な言葉ではない。

あの舞台で楽しむには、どれだけの積み重ねが必要か。

どれだけ自分と向き合ってきたか。

 

だからこそ、その“楽しむ姿”が嘘ではなく、本物に見える。

 

国を背負う強さから、

自分を解き放つ強さへ。

 

どちらが上という話ではない。

けれど、今の在り方は、見ていてどこか軽やかで、成熟を感じる。

 

勝ったかどうかより、

出し切れたかどうか。

 

メダルの色もそれほど重要ではないなと心から感じられた。

その基準で語られるスポーツは、美しい。

 

もしかすると私たちも、

「背負わなくていい」「もっと自分でいい」

そんな許可を、彼らから受け取っているのかもしれない。

 

今度はWBCとまたコンテンツに踊らせられる。

妻の発言に注目したい。

2026/02/21
826/1000 中学卒業式のピアノ伴奏という、小さな大舞台   

来月、いよいよ中学の卒業式を迎える娘。

その式で歌われる合唱曲の伴奏オーディションが先日あった。

娘が手を挙げたのは「大地讃頌」。

誰もが一度は歌ったことのある、あの力強い合唱曲だ。

 

半年以上、この曲を念頭に練習してきた。

家のアップライトピアノの前に座る背中を、私は何度も見てきた。

夜も、休日も、同じフレーズを繰り返し弾く音が、家の空気の一部になっていた。

 

オーディション後の感想は「まあまあ」。

娘の「まあまあ」は、だいたい「かなり良い」の意味だ。

 

けれど先生は、感情を前面に出すタイプの演奏を好むらしい。

結果は、落選。

 

小林家の人々は、どうも主役より脇役を好む。

クレジットに大きく名前が出るより、全体を支える立場に安心する。

娘の伴奏も、まさにそうだった。

「伴奏は主役じゃないから」

そう言って、歌を引き立てる構成を選んでいた。

 

でも同時に、

「だから評価されないのかも」とも。

 

私は本心からこう言った。

「伴奏に徹するの、かっこいいと思うよ」

 

本当にそう思う。

支える力は、簡単には身につかない。

 

けれど大人になった今、もうひとつ感じる。

主役を張る場面も、人生には必要だということ。

 

脇役に徹する強さを知っている人が、

いつか主役に立ったら、きっと深い。

 

卒業式の舞台には立てなかったけれど、

娘の半年間は消えない。

 

娘がいつか、自分の意志で中央に立つ日を、

私はそっと見守りたい。


2026/02/19
824/1000 コンバインの群れから見えた未来   

郊外を走ると、よく見かけるヤード業者の敷地。

近い業種ということもあって、私はつい視線を向けてしまう。

ある日、そこに並んでいたのは、コンバインの群れだった。

稲刈りの主役である大型農業機械が、所狭しと並んでいる。

今はもう役目を終え、金属スクラップになるのだろう。

就農者の平均年齢は70歳とも言われる。

高齢化の影響もあるのだと思う。

けれど背景には、米価の高騰による機械の更新もあるのかもしれない。

数十年ぶりとも言われる価格上昇。

潤いが生まれたことで、老朽化した機械を入れ替えた農家もあったのではないか、と想像する。

機械は入れ替えがきく。

性能も上がる。

経営としては自然な判断だろう。

けれど——

あの機械を入れ替えるとき、

どんな未来を描いたのだろう。

もうひと踏ん張りしようと思ったのか。

誰かに託す準備だったのか。

それとも、区切りを見据えた決断だったのか。

事情はそれぞれ違うはずだ。

ただ、何十年も田んぼを走った相棒を手放し、

新しい一歩を選ぶその瞬間には、

きっと何かしらの未来の風景があったはずだ。

そう考えると、

あのヤードに並ぶコンバインの列が、

ただの金属の塊には見えなくなり、

少し胸が熱くなった。


2026/02/17
822/1000 血液型と経営   

新しいスタッフが入ると、

緊急連絡先やアレルギーと一緒に血液型も確認する。

 

血液型と性格の関係には

医学的な根拠はない。

それは分かっている。

けれど、どうしても人は意味を探したくなる。

現在スタッフは29名。

A型14名

O型5名

B型7名

AB型2名

A型がほぼ半数。社内最大勢力だ。

日本人全体と比べてもA型はやや多く、O型は少なめ。

ふと、思い出した。

先代の社長――父はO型だ。

そして、なぜかO型の採用が当時は多かったと聞く。

「社長に似た人が集まる」

そんな話を昔、誰かがしていた。

偶然だろう。

でも、完全に偶然だろうか。

私はA型だ。

几帳面と言われれば、まあ否定はできない。

段取りを組み、やり切ることを好む。

曖昧さより、整っている方が落ち着く。

気がつけば、社内最大勢力はA型になっていた。

会社は、少しずつ社長に似ていくのかもしれない。

O型が多かった時代は、

きっともっと大らかで、勢いがあったのだろう。

今は、積み重ね型。

地道で、堅実で、抜けがない。

どちらが良い悪いではない。

ただ、時代と共に求められることも変わる。

血液型に根拠はない。

けれど、会社の空気を考えるきっかけにはなる。

組織は、社長の鏡。

そう考えると、

この14という数字は、少しだけ責任を感じる数字でもある。


息子はAB型、次の時代も大きく変わりそうだ。

2026/02/15
820/1000 それぞれのバレンタイン   

昨日はバレンタイン。

末の娘がキッチンを占領している。

毎年この時期は姉たちと取り合いだったが、今は独壇場。湯せんの音と甘い匂いが家に広がる。

 

「板チョコ買ってきて」

 

コンビニで値札を見て、少し立ち止まった。

一枚200円越え。

 

私の記憶ではなぜか108円。

物価は上がると聞いているが、自分の中の基準はなかなか更新されない。

 

たとえば、英国の名門 Crockett & Jones の革靴。

昔は6万円台だったモデルが、今は10万円を超える。


良い靴だと分かっている。

似合うだろうとも思う。

それでも、昔の値段を知っている身としては――

流石に手が出ない。

 

だから中古市場がにぎわうのかもしれない。

“記憶の価格”に近いから。

 

そんなことを考えている横で、娘はチョコを刻み、溶かし、流し込む。

無言で、黙々と。

 

そこへ妻がひと言。

 

「買ったのそのままやったら?」

 

きっとキッチンの掃除のことについて考えているであろう妻は

実にドライだ。

 

娘は聞こえないふりをして、また混ぜる。

 

そして息子。

ワイヤレスイヤホンを装着し、別世界。

私の世代でバレンタインといえば、「もしかして」みたいな妄想をチラッとでもしたものだが、

現代の男子は興味がないのか、何を話しても、会話にはならない。

 

甘い匂いのキッチン。

値段に引っかかる父。

現実的な母。

自分の世界にいる息子。

 

同じ家の中で、それぞれが違う温度でこの日を過ごしている。

そんな日々ももう数年で無くなるのかと思うと寂しさが漂った。


2026/02/13
818/1000 それぞれの目線で見るオリンピック   

熱戦が続く

ミラノ・コルティナダンペッツォオリンピック。

我が家でも、自然と会話の中心になっている。

妻は言う。

「あの床擦るやつ、すごいねー」

——カーリングのことだ。

 

娘は

「あのシュー・シューって滑るやつ面白い」

——スピードスケート。

 

さらに会場の山々を見て、

「ここ景色きれい。行ってみたい」と目を輝かせる。

 

すると妻は、

「景色とか興味ない。京都がいいなー」と話題を日本に戻す。

イタリアから一瞬で京都へ。わが家らしい。

 

そして息子は、少し腕を組んで、

「まぁ、スキーならやってもいいけどね。」

となぜか上から目線だ。

 

私はというと、

先輩社長のご親戚でもある

荻原大翔選手(おじいさんが鶴岡の人)のスノーボードビッグエアに注目している。

あの数秒の空中にすべてをかける姿。

メダルを信じて応援している。

 

同じテレビを見ているのに、

見ているものはみんな違う。

 

景色を見ている人。

京都を思っている人。

スキー目線で語る人。

空中の一瞬に胸を熱くする人。

 

それぞれの目線で楽しみながら、

同じ時間を共有している。

 

オリンピックのすごさは、

メダルの色だけではなく、

こんな夜をつくってくれるところにあるのかもしれない。

 

そしていよいよハーフパイプ男子決勝。 鶴岡市のお隣、村上市出身歩夢がんばれ〜

我が家もまた、それぞれの目線で応援している。


2026/02/11
816/1000 100℃の価値   

今年はいろいろとチャレンジしたいと思っている。

だからこそ、

デフォルトでやるべきことを前倒しでどんどん進めている。

準備は早いほうがいい。

余裕があるほうがいい。

だが最近、強く思うことがある。

大切なのは、「やり切る」ことだということだ。

99%まで仕上げたつもりでも、

その時が来ると、また最初から見直す羽目になる。

資料も、仕組みも、覚悟も。

結局、未完成は未完成だ。

100%までやってしまえばいい。

そこまで持っていけば、

あとはボタンを押すだけで済む。

この「押せる状態」まで持っていくかどうか。

ここが分かれ目だと思う。

ふと思い出す。

昔、ゼミの先生が言っていた。

「99℃では水は沸騰しない」

99℃と100℃。

たった1℃の違いだが、

状態はまるで違う。

99%までやることは、

実は1%と変わらないのかもしれない。

沸騰しない限り、

水はただの熱い水である。

今年は、

“熱い水”で終わらせない。

やり切る。

沸騰させる。

その1℃を取りにいく。

2026/02/09
814/1000 これが都会の声量なの?   

正月に仕事だった長女が、今になって帰省している。

「何食べたい?」と聞くと、返ってきたのは「ココスー!」。

都内にはあまりなくて、子どもの頃から家族で通っていた、あのココスに行きたいのだという。

 

いつもの四人の食卓に長女が加わると、一気に賑やかになる。

笑い声が重なり、声量も自然と上がる。

気がつくと、周囲の席からちらちらと視線が集まっている。

その横で、長男は「勘弁してよ」という顔。

そして、小さな声でぽつりと聞いてきた。

「これが、都会の声量なの?」

訝しむようなその一言に、思わず笑ってしまう。

都会かどうかは分からないが、少なくともこれは“姉がいる日の我が家の声量”だ。

食後、「ボーリングでも行くか〜」という流れになったが、

妻はボーリングが苦手ということで却下。

代わりに始まったのが、なぜかオセロ大会だった。

優勝賞金3,000円。

この金額が、家族を本気にさせるにはちょうどいい。

一気に場の空気が変わる。

私もオセロなんて久しくやっていなかったので、

父の威厳を保つべく、こっそりネットで定石をチェック。

こういうところは、我ながら抜け目がない。

女性陣は、とりあえずの一手を置いていくスタイル。

作戦は特にない。

息子は、なんとなくコツがあることには気づいていたようだが、

見事に私の術中にハマっていった。

結果、優勝は私。

賞金3,000円を手にして、少しだけ得意顔になる。

 

長女のおかげで、楽しい夕食だった。


2026/02/07
812/1000 身体がリアルに知っていたこと   

ここ数ヶ月、歯が痛かった。

神経は取ってある歯なので、歯そのものが原因ではないことは分かっていた。

それでも、じんじんとした違和感が続いていた。

歯医者で診てもらうと、

歯の付け根の奥が炎症を起こしているらしい。

さらに診察を進める中で、先生が言った。

「だいぶ、くいしばってますね」

その一言で、点と点がつながった。

思い返せば、痛くなり始めた頃から、

なかなかしんどい状況が続いていた。

気を張り、踏ん張る場面が多かった。

そのとき私は、気持ちの上で歯を食いしばっていた。

そしてその状況に呼応するように、

身体はリアルに、就寝中まで歯を食いしばっていたのだ。

気持ちの緊張と、身体の緊張。

別々のものだと思っていた二つが、

実は同じ線の上にあった。

先生はマウスピースを作りましょうと言った。

しかも保険適用だという。

歯を抜かなければ治らないのでは、

そんなところまで考えていた私は、

原因と対処法が見えたことで、少し肩の力が抜けた。

歯の痛みは、まだ残っている。

でも、

しんどい状況に耐えてきた自分と、

そのまま身体を固め続けていた自分が、

きれいにつながった。

そのことが、

いちばんの処方箋だったのかもしれない。

2026/02/05
810/1000 名前を呼ぶという贈り物   

挨拶をされると、やっぱり嬉しい。

それはきっと、誰にとっても同じだと思う。

朝、すれ違いざまに「おはようございます」と声をかけられるだけで、少しだけ心がほどける。

けれど今日、ふと気づいた。

挨拶の中でも、もう一段階嬉しい瞬間がある。

 

それは、名前を呼ばれて挨拶をされた時だ。

 

「おはようございます」ではなく、

「小林さん、おはようございます」と声をかけられる。

その一言に、少しだけ特別な温度が乗る。

 

自分をちゃんと認識してもらえている感覚。

ただの“そこにいる人”ではなく、“小林という一人”として見てもらえている感覚。

たったそれだけの違いなのに、不思議と心に残る。

 

今日、そんな挨拶を自然にしている人に出会った。

最初は、「自分だけ名前を呼んでもらえたのかな」と思って、少し嬉しくなった。

けれど様子を見ていると、その人は誰に対しても、当たり前のように名前を添えて声をかけていた。

 

それが実に自然だった。

わざとらしさもなく、頑張っている感じもない。

ただ、そこにいる人を大切に扱っているだけ、という雰囲気だった。

 

すごいな、と思った。

同時に、真似したいなとも思った。

 

仕事でも家庭でも、私たちはつい役割で人を見る。

担当者、作業員、社員、ドライバー。

もちろんそれも必要だが、その前に一人ひとりに名前がある。

 

名前を呼ぶという行為は、案外エネルギーがいる。

覚える努力もいるし、間違えないように気も遣う。

でも、そのひと手間が、人と人との距離をぐっと縮めるのかもしれない。

 

考えてみれば、自分の名前を丁寧に呼んでもらった記憶というのは、なぜか長く残る。

逆に、名前を呼ばずに済ませてきた場面も、きっと数えきれないほどある。

 

挨拶は毎日のこと。

だからこそ、ほんの少しだけ質を変える余地がある。

 

「おはようございます」に、そっと名前を添える。

それだけで、同じ言葉が少し違う意味を持ち始める気がする。

 

今日出会ったその人の姿を見ながら、

挨拶とは礼儀である前に、関係をつくる行為なのだと改めて感じた。

 

明日から、私も少しずつ試してみようと思う。

ぎこちなくてもいい。

名前を呼ぶところから、人との距離をもう一歩だけ近づけてみたい。


2026/02/03
808/1000 節分の厄払い   

今日は節分。

季節の分かれ目で、かつて立春を一年の始まりとしていた頃の、いわば大晦日のような日だという。

そんな日に、私は車をぶつけられた。

駐車場に停めていた9年目のプリウスくん。

少し離れたところで、バックしてくる軽自動車が視界に入った。


「あ、近いな」


そう思った次の瞬間、派手な音とともにゴツん。

ぶつかる瞬間を、はっきり目撃してしまった。


手を振って制止すればよかったのかもしれない。

声を出していれば防げたのかもしれない。

後からなら、そんな考えはいくらでも浮かぶ。


向こうの車はバンパーがグシャグシャ。

一方、こちらは拍子抜けするほど、ほぼ無傷だった。

免許証を見せてもらうと、ゴールド免許のおばあちゃん。

長く無事故で運転してこられたのだろうと思うと、

怒りより先に、気の毒さが湧いてきた。


幸い、誰も怪我はしていない。

手続きは必要だが、それだけで十分だと思えた。


もろもろの厄が落ちて、誰かが持って行ってくれた。そんな気持ちが湧いてきた。

節分のごつんは幸先が良い。それで行こう。


2026/02/01
806/1000 便利な後輩を卒業する   

人を育てるということは、何なのだろう。

仕事に限らず、これまでさまざまな立場で人と関わってきたが、振り返ると「自分より下が育っていない」という場面を何度も経験してきた。


私より上の世代は、次々と仕事を振ってくる。

私はそれを右から左へと処理してきた。

量をこなす中で、確かに力はついたと思う。


だが、ふと気がつく。

自分の下が育っていない。


下の世代は、私を当てにする。

「小林さんがいれば何とかなる」

その空気は、安心でもあり、同時に危うさでもある。


この構図が続けば、組織は静かに弱体化していく。

仕事は回っているように見えて、実は“人”が育っていないからだ。


頼まれることに応え続けるのは、気持ちがいい。

評価もされるし、自分の存在価値も感じられる。

けれどそれは、いつの間にか「便利な後輩」「都合のいい中間管理職」を引き受け続けることにもなる。


今、必要なのはもう一段階先の役割だと思う。

自分がやることを減らし、人に任せること。

失敗させ、考えさせ、時間をかけて待つこと。


人を育てるとは、

自分が楽になることでも、

相手を甘やかすことでもない。


組織の未来のために、

あえて自分が“不便になる”選択をすることなのかもしれない。


便利な後輩を卒業する。

それは、次の責任を引き受けるという決意でもある。