出発前はいつも「めんどくせ〜」と思うのに、不思議なことに数日で都会のリズムに体が馴染んでしまう。帰る頃には「帰りたくね〜」と感じるくらいに。
台風の予報に振り回され、飛行機は飛ぶのかとやきもきしたが、傘を広げることもなく帰路につけた。
そして、窓の外に広がったのは、黄金に染まりはじめた稲穂。湿り気を帯びた大阪の空気とはまるで違う、甘くて爽やかな香りが鼻をくすぐる。胸いっぱいに吸い込むと、身体の奥まで洗われるようだった。
高い空が、クラクラするほど広がっている。
その下で風に揺れる稲穂は、まるで波のようで、見慣れた景色なのにどこか異国の風にも見える。
「いい町だ」と思った。
旅を経て気づくのは、結局ここに帰ってきたいという気持ち。めんどくさいと出かけては、最後にこうして町を褒めている自分がいる。
おばあちゃんが旅行から帰るといつも言っていた言葉を思い出す。
──「やっぱり家が一番いい」。]]>関西クリアーセンターという新しく完成した廃棄物の中間処理施設を見学させていただきました。最新の設備が並び、現場の工夫や熱意を肌で感じることができ、やはり実際に足を運ぶと得られるものがあるなあとしみじみ思います。
ところで、出張のときにいつも頭を悩ませるのが「お土産」。昔、ある先輩に「どこかに行ったら必ずお土産を買って帰りなさい」と言われたことがあります。「旅行中でも君のことを考えていたよ」というメッセージになるから、と。そのとき先輩は、「だから中身はなんでもいいんだ」と笑っていました。なるほど、確かにお土産って、モノより気持ちが大事なのかもしれません。
そんなことを思い出しながら、伊丹空港に降り立ってまず目に入ったのが本屋さん。店先に並んでいたのが『17歳のときに知りたかった 受験のこと、人生のこと。』という本でした。表紙の青い空に惹かれ、気づけば手に取っていました。
パラパラと目次をめくってみると──これ、俺も17歳で読みたかったかも、と心の中でつぶやきました。あの頃の自分が抱えていた不安や迷いに、きっと何かしらの答えやヒントをくれただろうなと。そんな本を、今の息子に手渡せるのはちょっとした贈り物だなと思います。
まあ山形でも買えるとは思いますが、こういう出会いって面白いですよね。旅先での偶然が、少しだけ特別な一冊にしてくれる気がします。]]>出発の準備をしながら、今回はいつもと違う選択をした。革靴を履くと間違いなく決まるんだけれど、会場を歩き回ることを考えて、ドレス寄りのスニーカーにしてみた。軽やかな足取りで未来都市を歩くのも悪くない。テンションは革靴だけど、実用性はやっぱりスニーカーの勝ちだ。
それから日傘も持った。昔は「男が日傘?」なんて言われたものだけれど、今はすっかり常識になった。真夏の大阪で涼しい顔をして歩くなら、これがいちばんの相棒だろう。
会場は電子マネーオンリーと聞いて、PayPayと交通系ICの両方をしっかりチャージして準備完了。移動はICカード、ポイントはPayPay、万が一のトラブルにも安心だ。
そして何より楽しみにしているのが、日本館と海洋ゴミのパビリオン。海と一緒に生きてきた町に暮らす者として、このテーマにはやっぱり惹かれるし、日本館も外せない。閉館時間まで粘ってでも見たいと思っている。仕事のヒントになるだけじゃなく、自分の暮らしの中にも何か持ち帰れそうな気がしている。
きっと当日は人の波に揉まれ、足もクタクタになるだろう。それでも、新しい景色や考え方に出会えるなら、それだけでこの旅は十分だと思う。]]>天気予報は「まだ暑い日が続きます」と言っているけれど、
朝の風のどこかに、秋の気配がまぎれこんでいるのを感じる。
田んぼの稲が陽を浴びて色づきはじめ、
虫の声が夜をにぎやかにしはじめると、
季節は何事もなかったように、静かに歩を進めていく。
学生の頃は、新学期が始まるたびに
席替えやクラス替え、担任の先生の交代があって、
気持ちの切り替えは自然にやってきた。
けれど大人になると、同じ机と同じ顔ぶれの中で、
昨日と今日と明日が、なめらかにつながっていく。
気づけば、季節だけが先に進んでいる気がするのだ。
だから私は九月になると、手帳を新しくする。
スマホで十分な時代に、わざわざ紙のページをめくるのは、
自分の時間に小さな節目をつくりたいからだ。
真っ白なページを前にすると、
これからの季節をどう過ごそうかと
少しだけわくわくしてくる。
周回遅れのトップランナーなど存在しない。
変化は、自分で起こすものだ。]]>少しお酒も手伝って、よく笑い、よくしゃべり、そして最後はぐっすり眠る──そんな無邪気な姿に、家族みんなでつい笑顔になった。まるで子どもの頃に戻ったようなひとときだった。
そして今回の長女の帰省をきっかけに、小林家のLINEグループがにわかに活気づいた。東京暮らしの次女と2人を加えてリニューアルしたとたん、未読メッセージが20だ30だと、一気ににぎやかになったのだ。
スタンプが飛び交い、誰かが写真を送ればすぐにコメントがつき、気づけば話題はあっちこっちに脱線していく。どうやら家族LINEが楽しくて仕方ないらしい。離れて暮らしていても、こうして家族の会話に混ざれるのが嬉しいのか、それとも少しだけ寂しいのか。
スマホの向こうで笑っている顔を想像しながら、こちらも返信する。離れていても家族の声がすぐそばにある──そんな時代になったものだ。
そして長女曰く、「お父さんはツンデレ」なのだそうだ。つかさず妻が末の娘に「ツンデレって何?」と聞いて、みんなでまた大笑いした。]]>けれど最近になって気づいた。足るを知るは諦めではない。むしろ、自分を全力で肯定することなのだと。うまくいったことも、いかなかったことも、欠けていると思う部分も含めて、「これが私の今だ」と受け止めること。そこから初めて、人は余計な不足感や劣等感から解放される。
不思議なもので、そうやって自分にOKを出したときにこそ、「これをやりたい」「誰かの役に立ちたい」といった思いが静かに芽生えてくる。使命のようなものは、焦りや劣等感からではなく、足るを知る心の静けさから生まれるのだ。
次のステージに進む人と、同じところをぐるぐる回る人の違いは、きっとそこにある。諦めが未来を閉ざす感情だとすれば、足るを知るは未来をひらく感情だ。
だから今日も、この言葉をそっと思い出しながら過ごしてみようと思う。]]>そうなると、歩いて乗船した人が、下船のころには杖をついて帰ることになるらしい。船旅というのは、どうやらロマンと同じくらい、カロリーとも戦うことになるようだ。
そして夫婦での参加者たちの姿がまた興味深い。もちろん仲睦まじいペアもいるが、実は少数派。多くは「うちの人はね…」と、相方への不満を延々とこぼす人も少なくないらしい。広い海の上で、どうしても話題に困るのか、それとも本音が波に揺られて出てしまうのか。
中には「一人のほうが気楽でいいわよ」と笑うご婦人たちもいたという。三か月というのは長い。自由を満喫するには、相手との距離感も大切なのだろう。
参加者の七割以上は60代以上。海の上で出会う人生のベテランたち。食べ放題と夫婦模様、そして寄港地での小さなドラマ。聞いているだけで、こちらまで小さな旅をした気分になる。
夫婦で世界旅行に行くというのは、その関係性も含めて、きっと人生のテーマなのだ。旅はどこへ行くかより、もちろん誰と行くかだ。
]]>もちろん仕事ですから、笑顔で受け答えします。でもスタッフと顔を見合わせて「客商売なのに、あの態度ってどうなの?」とつい言いたくなる。いや、むしろあれだけ鼻息荒くしていたら健康に悪いんじゃないかと、心配すらしてしまいます。
昔、先輩経営者から「三方よし」という言葉を教わりました。売り手よし、買い手よし、世間よし。商売ってそういうものだと。だから今は鼻息荒い人も、長いスパンで観察してみたら面白いんじゃないか、とその先輩は笑っていました。
思えば、私の若い頃もそうだったのかもしれません。勢いだけで突っ走って、相手の立場も考えず、今思えば恥ずかしいくらい。多分、経営者になっていなかったら、そんな事にも気がつけず今でもそんな風に振る舞っていたんじゃないかと思います。
結局のところ、みんなコンプレックスとか、マウント取りたい気持ちとか、つまらぬ何かを抱えて、生きているかわいい存在でもあるのです。可愛いなと思うと、こっちの気持ちまで晴れてきます。みんな「人間だもの」]]>今回、父である私が薦めたのは三島由紀夫の『金閣寺』でした。若いころに衝撃を受けた作品で、息子にもぜひ触れてほしいと思ったのです。しかし実際に読み進めてみると、言葉の難しさや世界観の重さに心が折れてしまったようで、途中で断念。やはり読書というのは、人に押しつけられて味わえるものではないのだと、あらためて気づかされました。
そのとき私は冗談めかして「なあ、あんな筋肉ムッキムキのおじさんが、こんなに繊細な文章を書くと思わなかったろ?」と聞いてみました。息子は苦笑しつつも同意。しかし一枚上手で、「切腹の時に脂肪が飛び散るのを嫌って鍛えていたそうだよ」と返してきました。なかなか勉強しているようで、父としてはちょっと舌を巻きました。
そして急遽彼が選んだのが小川洋子さんの『博士の愛した数式』でした。記憶が80分しかもたない博士と家政婦、そして少年の交流を描いた静かな物語です。数学が苦手で文系を選んでいる息子ですが、仲良くなる友人はなぜか理系ばかり。最近は「2年生から理系に進むべきか」と悩んでいます。先生からは「得意・不得意で決める必要はない」と助言を受けているものの、まだ心は揺れているようです。
そんな息子にとって、この物語は大きな発見をもたらしたようでした。博士が数式を通じて見ている世界には、冷たい記号ではなく、人の心や関係を映し出す温もりがある。数字の中にもドラマやストーリーが潜んでいる。そのことに気づけたのは、理系に苦手意識を持つ彼にとって思いがけない収穫でした。
昨夜遅くまで原稿用紙に向かい、何度も書き直しながら仕上げた感想文。仕方なく読んだ本ではなく、自分で選び取った一冊だからこそ、最後まで向き合えたのでしょう。読書感想文とは、結局のところ「何を読むか」よりも「どう選ぶか」に意味があるのかもしれません。
夏休み最後の夜、息子の背中を眺めながら、そんなことを感じたのでした。
]]>もちろん役に立つ場面も多いが、ときに先入観となって勘違いを生むことがある。
先日、家財整理のお見積もりで約束したお客様。
私は「この方は仕事をされていない」と勝手に思い込み、13時に伺うことにした。
(経験上、仕事をしている人の昼一は13時30分、していない人は13時──そんな“自分ルール”があったからだ。)
ところが伺ってみると不在。
携帯に電話しても「現在使われておりません」とのアナウンス。
仕方なく現場を後にしたが、よく確認すると──電話番号は「090」ではなく「080」。
さらに、相手の昼一はやはり13時30分だった。
思い込みで時間を決めつけ、番号まで早とちり。
たったそれだけで仕事が止まってしまう。
経験は武器になるけれど、裏返せば落とし穴にもなる。
そして最近の私は「これまでの経験だと」と口にすることが増えた。
もしかすると──「老害」の初期症状かもしれない。]]>