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毎日ブログ

2025/11/30
743/1000 変わるとは、城の扉を開くこと   

気づけば、怒涛の11月が終わった。

今年も残りあと一か月。毎年恒例の「今年の漢字」が話題になる頃だが、私にとっては迷わず『変』の一字だろうと思う。

これほど自分が変化した年は、そう多くない。よく考えれば、今年は歳男でもあった。節目というのは不思議で、どこかで“やっと本当の自分に出会えた”ような感覚が芽生えている。

もちろん、変わることは楽ではない。

いろんな着色、心の壁、見栄、被害妄想めいた妨害工作──すべて自分の心の中で繰り広げられる。自分の小さな城にこもって、王様でいることがいつもの自分を守ることで、つまらないプライドを盾に、人を責めたりしてつまらない自分を繰り返す。

そんな“閉じこもり王”に対して、今年は勇猛果敢な開拓者が現れた。名前は「苦難」。まるで門を叩くように「出てこい」と迫ってきた。

逃げたくても逃げられない、逃げなかったことで、閉じ込められていた王様はやっと解放されたのだと思う。

不思議なもので、解放されてみると周りがよく見えてくる。

すると、今の世の中には、自分と同じように小さな城に閉じこもっている“王様”たちがたくさんいることに気づいた。

かつての自分がそうだったから、心の壁の辛さも、プライドの重さも、よくわかる。

だからだろうか──

そんな王様たちの解放に、ほんの少しでも役に立てたらいいな、なんて。

お節介なのは百も承知だが、それくらいは焼いてみようかという気分にもなっている。

11月を駆け抜けた今、ようやく肩の力が抜けて、少しだけ遠くまで見渡せるようになった。

残り一か月、どんな景色が待っているのか。

変わることを恐れずに、今年のラストを歩いていこうと思う。

2025/11/28
741/1000 たった一人に伝わる話   

今日の午前、電話が鳴った。

「明日の講話、担当者が病欠でして…代わりにお願いできませんか?」

またしてもピンチヒッターである。

これまでこの会には5〜6回は呼んでいただいている。

呼ばれるのはありがたいが、正直そろそろネタが尽きたのでは…という気持ちもある。

そこへ明日の講話依頼。そしていきなり聞かれるのだ。

「テーマは? プロジェクターは? レジュメは?」

そんなもの、すぐ答えられるわけがない。

即答できる人がいたら、それはもう職業としての“講師”だ。

一瞬、断る理由は揃っていた。

急だし、準備時間もない。

何より、ネタがあるかどうか自信もない。

それでもなぜか“受けたくなる”のが不思議だ。

本当のところ、私は勝負強いタイプではない。

野球に例えるなら、9回裏二死満塁で代打に立つような華やかな人間ではない。

むしろ「いやいや、もっと上手い人がいるでしょう」と言いたい。

それでも声をかけられると、なんだかんだでバッターボックスに向かってしまう。

結局、そういう性分なのだと思う。

急な依頼というのは、ある意味で“逃げ道”がある。

準備が整わないぶん、完璧を目指さなくていい。

むしろ「今の自分でいくしかない」と腹が決まる。

そして不思議なもので、こういう時ほど大胆になれる。

ふだんなら慎重に避けるような話題にも踏み込めるし、

言葉の選び方もどこか自由だ。

もし不発でも、

「あれは急だったから」で済んでしまう。

その“許される空気”が、心を軽くしてくれる。

だから挑める。だから動ける。

昔、師匠に言われた言葉を思い出す。

「3分話すなら準備に一か月。30分なら3日だ。」

短いほど研ぎ澄ました“核”が必要で、準備に時間がかかる。

長い講話は、自分の人生そのものが語ってくれるから、準備はいらない。

この理屈でいけば、明日の45分は……

だいたい“1日”でいいらしい。

妙に納得してしまうのは、いままさにその“1日”の中にいるからだろう。

そして今回は、プロジェクターもホワイトボードもレジュメも何も持たず、

体ひとつで行く。

余計な武器を持たない分、まっすぐ伝えるしかない。

その潔さが逆に気持ちいい。

明日は、大勢に向けて話すつもりはない。

誰かひとり──

その人の心にだけ、そっと届けばそれで充分だ。

たった一人に伝わる話。

そのために、体ひとつで行く。

2025/11/26
739/1000 時代の変わり目、続けるのも辞めるのも勇気   

昨日は、鶴岡東工業団地連絡協議会のボーリング大会。

今年で 第41回 を数える伝統の大会には、今年も 70名を超える参加者 が集まり、当社・環境管理センターからは 2チーム・計8名 が参加しました。

私自身、この大会には20代の頃から参加してきました。

貸し靴のにおい、レーンの照明、スコア表のあの妙な緊張感——全部まとめて、工業団地らしい“年に一度のゆるい勝負”の風景です。

でも——

実は この大会、今年で最後 なんです。

理由は一言では片付かないけれど、大きいのは「時代の変化」。

41年間の歴史は立派ですが、運営には誰かの労力が必要で、それが少しずつ負担になってきた。

“何を守るべきか”を考えた結果の幕引きなのだと思います。

そして昨日も、レーンの上にはいつもの光景がありました。

ストライクが出れば「よっしゃ!」、スペアが取れれば「いいよいいよー!」と声が飛ぶ。

でも大事なのは、実はその 次の一投。

ストライクを取った直後こそ、力んでしまって G(ガーター) を出すパターンが多い。

あの“気負いすぎた結果のガーター”には、誰もが一度は覚えがあるはずです。

昨日も、そんな“あるある”にみんなで笑い合いながら投げていました。

そんな中で、環境管理センターチームは見事に 第2位!

最後の大会でしっかり爪痕を残し、これは素直に嬉しかった。

41年続いた大会の歴史と、これからの工業団地の歩み。

時代の変わり目、続けるのも辞めるのも勇気ですね。


2025/11/24
737/1000 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と中学生の私  

今日は、なんだか胸の奥がざわついて、中学生の頃に観た『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を30年ぶりに観返してしまいました。1985年から1955年へタイムスリップする物語。デロリアンが炎を引いて走り去るだけで、あの頃のワクワクが一気に蘇ってきます。

私が観ていたのはテレビ放映版で、マーティの吹き替えは織田裕二、ドクは三宅裕司。誰に言っても信じてもらえないのですが、私の中ではこれが“正しい”吹き替え版です。当時はそれが当たり前で、織田裕二の軽快さと三宅裕司の勢いが、映画のテンポと妙にぴったりでした。

久々に観て「あれ?」と思ったのは、マーティが学園ダンスで弾くギブソンのギター。赤いセミアコはGibson ES-345。よく調べると1955年の時点ではこのモデルはまだ存在していないというのは有名な話で、映画らしい“時空のズレ”なんだとか。でも、そんなことはどうでもよくて、当時の私はただ「かっこいい!」それだけでした。

思い返すと、中学生の頃に夢見ていたものは、この映画の中にたくさんありました。ギターもデロリアンも、ターミネーター2を観て憧れたハーレーも革ジャンも。「大人になったら全部手に入れるんだ」と本気で思っていた。

そして今。30年経って、あの頃の夢をどれだけ叶えられただろうかと振り返ってみると──デロリアンこそ手に入れられなかったけれど、それ以外は案外叶えている。中学生の頃に想像していた“大人”の自分に、気づかないうちにちゃんとなっていたのだと思います。

それがなんだか嬉しくて。

今日の映画鑑賞は、小さなタイムトラベルのようでした。

2025/11/22
735/1000 気づけば育っていた、三ヶ月の努力   

パーソナルジムに通い始めて三ヶ月。

ここ最近、「あれ? そんなに変わってないんじゃないか」と思いながら鏡を眺める日々でした。

というのも、実はこの一ヶ月、計測をすっかり怠っておりまして…。

トレーナーさんが知ったら、「もったいない!」と眉をひそめそうですが、まあ人間そういう時期もあります。

ところが今朝、目を覚まして立ち上がった瞬間、ふとお腹まわりに違和感。

なんか……へっこんでいる気がする。

もしやと思い、慌ててメジャーを取り出して測ってみると、まさかの マイナス3㎝。

「いやいや、体重は変わってないだろう」と体重計に乗ったら、こちらも マイナス3kg。

嬉しい誤算。

まるで、一ヶ月放置していた“宿題”が、陰で勝手に成長していたみたいな、不思議な感覚。

劇的な日々ではなかったけれど、食事の選び方や姿勢、体の使い方を少しずつ見直してきた三ヶ月。

気づかないところで、ちゃんと結果が育っていたんだと思うと、なんだか救われる。

努力って、こういう形で返ってくるんですね。

静かな朝にふっと訪れる、小さな奇跡のように。

2025/11/20
733/1000 香りと言葉で遊ぶ日──ボジョレー解禁と朝の一杯   

今日はボジョレー・ヌーヴォーの解禁日。

ワインの世界では毎年、お約束のように“独特すぎる”表現が並ぶ。「カシスのような香り」「濡れた落ち葉」「図書館の湿気を帯びた古書」なんて、詩なのか評論なのか分からない。けれど、この遊び心こそが、ボジョレーの良さでもある。

そんなことを思いながら、私は今朝もいつものようにコーヒーをハンドドリップした。始めて三ヶ月ほど経つだろうか。最初は“豆が全て”だと思っていたが、最近はどうも違う気がしてきた。むしろ、淹れ方ひとつで味は劇的に変わる。

お湯を落とすスピード、蒸らしの時間、注ぐ角度。ちょっと欲張って早く注ぐと味は薄くなるし、慎重すぎても雑味が出る。豆よりも「自分の気分と手つき」がコーヒーを左右している気すらする。

そしてコーヒーの香りの表現も、ワインに負けずにユニークだ。

「梨のような透明感」

「雨上がりの土の香り」

「鉛筆の削りかす」

もはや理科室かと思うような比喩もある。

だけど、毎朝の一杯に身を寄せていると、そんな表現がだんだん分かる気もしてくる。今日淹れたコーヒーは、とにかくスッキリしていて切れ味最高、まるで“冷えた朝に自転車で思いっきり坂道を下ってゆくような爽快感”があった。そんなことを思いながら、湯気越しに外を見る時間が、いつの間にか私の小さな楽しみになっている。


ボジョレー・ヌーヴォー実は飲んだことがない。けれど「図書館の湿気を帯びた古書」とか言われたら飲みたくなるね。


2025/11/18
731/1000 手稲で気づいた、もうひとつの学び   

昨日から、札幌市手稲倫理法人会さんにお邪魔している。

二日間の講師という大役をいただき、皆さんからは「先生」と呼ばれる。

けれど、その呼び名がどうにもこそばゆい。

申し訳なさと、恥ずかしさと、少しの戸惑いが入り混じっている。

二日間も、いったい何を伝えればいいのだろう。

はっきりした答えを出せないまま飛行機に乗り込み、雪がちらつく札幌に降り立った。

手稲という地名は、アイヌ語で“湿地”を意味するのだという。

小樽と札幌のあいだにあり、小樽出身のサカナクション・山口一郎さんの「新宝島」に出てくる

「テイネテイネテイネ」というフレーズが、昨日からずっと頭を回っている。

だが、あの歌詞とはまったく関係がないらしい。

ホテルの窓から手稲の山並みを眺める。ここは札幌オリンピックの時にスキー場として整備され、この地域が札幌市に編入されたという。

それにしても季節が早い。

山形よりも一か月ほど冬の歩みが早く、厚手のコートがようやく“ちょうどいい”。

乾いた冷たい空気が、肌にも心にもピリッとした緊張感をくれる。


そして私にできるのはただひとつ。

自分の物語を語ること。

痛みも喜びも、迷いや未熟さも、逃げずに歩いてきたその過程だけなら、誰にでもまっすぐ伝えられる。

そして、この二日間の大役を終えて思う。

一番“教えられた”のは、私自身だった。

こちらが話をしながら、一番聴いていたのは私自身。


結果はそうできのいい内容ではなかったのかもしれない。

しかし、次に生きる二日間であったことは間違いない。

2025/11/16
729/1000 爆弾とポップコーンと、隣の寝息   

昨日は妻を連れて、映画 「爆弾」 を観に行ってきました。

この作品は文庫本で読んだときから、「きっと映画化されるだろう」と期待していた一作です。実際に映画化され、主演は山田裕貴。その上、スズキタゴサク役に佐藤二朗さん——このキャスティングを知ったときに、観たい気持ちが一気に加速しました。

作品は、ほぼ原作通り。

物語の流れも、空気感も、あの“読んでいたときの呼吸感”がそのまま映像になったようで、原作好きとしては嬉しい限りです。

そしてやはり圧巻だったのは、佐藤二朗さんが演じるスズキタゴサク。

迫力と不気味さ、そしてどこか哀愁のある佇まい。原作の中で私が脳内に描いていたタゴサク像を軽々と越えてきました。ホームレスという設定のリアリティもすごく、ヒゲや服装のくたびれ方はもちろん、特に“歯”。あの黄ばんだ歯の存在感が妙に気になって、気づけばそこばかり目で追ってしまいました。

一方、妻の映画の楽しみ方はというと——。

上映前にカフェラテとキャラメル味のポップコーンを嬉しそうに抱え、準備万端で席に座ったまではよかったのですが、ものの数分で船を漕ぎ始め、爆破シーンのたびにハッと驚いて目を覚ますという、なんとも贅沢な鑑賞スタイル。隣で見ていて思わず笑ってしまいました。
ということで、次は何を観ようかと。

2025/11/14
727/1000 デジタルの向こう側にある、揺らぎの美しさ   

今日、ラジオから久々にレイ・ハラカミの曲が流れてきた。

やっぱりいいなぁと思って聴いていると、

パーソナリティーが「この曲、実は古いデジタル楽器で作られているんです」とふと話した。

その一言で、音が急に立体的になった気がした。

完璧とはいえない昔のデジタル機材。

粗い波形や遅いレスポンス、経年の揺らぎ。

その“欠けた部分”が、逆にあたたかさをつくっているのだろう。

デジタルなのに人肌みたいな丸さがある不思議な音だ。

サブスクで音楽があふれるようになって、

曲の背景を知る機会はめっきり減った。

気に入ったら次、また次へと流れていく。

便利だけれど、奥のほうにある物語までは届かないことが多い。

そんなことを思っていたら、ふと90年代の頃を思い出した。

ケミカル・ブラザースが登場し、

打ち込みなのに妙に“生っぽい”ドラムに圧倒された時代だ。

メカニカルなはずのドラムが、なぜか人間の体温を持って聴こえる。

あれは、生ドラムのサンプルやMPCの揺れ、

アナログ卓の歪み、あえて整えないループ……

そうした“機材のクセ”そのものが音に残っていたからだ。

レイ・ハラカミの丸い電子音も、

ケミカルの荒々しいドラムも、

向き合っていたのは、生かデジタルかではなく、

もっとその先にある“揺らぎ”だったのかもしれない。

便利さがすべてを均一にしていく今、

こういう不均一な音に触れると、

なんだかホッとする。

そんな訳で、レイ ハラカミの

アナログ盤でも探してみるかと考えている。


2025/11/12
725/1000 使う前に、手放すを想像する   

昨日は11月11日。ポッキーの日が有名ですが、実は「電池の日」でもあります。+と-の並びが電池の端子を連想させることから制定されたそうです。

廃棄物業界に身を置く私たちにとって、「電池」といえばやはりリチウムイオン電池の火災問題が頭に浮かびます。

全国的にも処理施設や収集車の火災が相次いでおり、その多くが“思いがけず混ざっていた電池”に起因しています。

リチウム電池は今や、掃除機や電動工具、電子タバコ、モバイルバッテリーなど、暮らしのあらゆる製品に使われています。

中でも厄介なのがワイヤレスイヤホン。小さくてプラごみに紛れやすい上、電池が内部に組み込まれていて取り外しができない。しかも左右のイヤホンとケース、それぞれに電池が入っている製品もあり、どこに潜んでいるのか分かりづらい。破砕機の中で圧力がかかれば、一瞬で火花が走ることもあります。まさに“見えない火種”です。

もちろん、全国的にはJBRC(一般社団法人 充電式電池リサイクル推進センター)などによる回収システムが整っています。家電量販店や自治体の回収BOXに「小型充電式電池」を入れれば、リサイクルルートに乗せることができます。

ただし、イヤホンのように電池が取り外せない構造のものは、現状その仕組みに乗せづらい。結局、排出する側の“正しい出し方”が鍵になります。

こうしてみると、モノを買うときに「使う」と「捨てる」の両方を想像しておくことが、いちばんスマートなのかもしれません。

便利さの裏には、見えないリスクと見えない努力がある。

小さな電池ひとつが、大きな火を生むこともある。

だからこそ、「混ぜればごみ、分ければ資源」。

11月11日、電池の日。今日もまた、そんな当たり前を思い出させてくれました。

2025/11/10
723/1000 ネイビー 一択からの、小ささな冒険。   

今日は寒いですね。

鶴岡市内ではあられがぱらぱらと降って、フロントガラスを転がっていきました。

そろそろ冬タイヤに交換しないとな、と思いながら、季節がまた一段、背中を押してくるのを感じます。

来週は札幌へ出張の予定。

天気予報を見てみると、最高気温がまさかの1度。

数字だけで冬がぐっと近づいてきました。

でも同時に、真夏に買っておいたコートをようやく下ろせると思うと、少し嬉しい。

服には「待つ楽しみ」がありますね。

季節とともに装いが巡る感覚が、なんだか好きです。

さて、そんな中、最近こだわっているのがネクタイです。

ここ数年、冬のインナーはニットが主役。だからこそ、スーツスタイルのタイドアップにはこだわりたい。

これまでは、ネクタイといえば“ネイビー一択”。

濃淡違いのネイビーを、静かに回し続けていました。

それが今年は、水玉、小紋、レジメンタルと、柄に手が伸びました。

ほんの少しの冒険です。

最近は、スカーフのような柔らかい風合いのネクタイもあって、結んだときにふわりと空気を含みます。

小剣を少し長めにする結び方が今の気分で、作り込みすぎない、その余白がなんとも大人っぽい。

ワイドシルエットの流れに合わせて、ネクタイも長めで、気持ち太め。

整えすぎず、どこか自然体。


いいネクタイと新しい季節

その変化を、首元でそっと確かめています。

2025/11/08
721/1000 心に火を灯す整理収納  

石川県金沢市・朝霧台にある 学校法人SAIBI学園 で開催された

「ゾーニングから始める保育現場の整理整頓」見学会に参加した。

園内を歩きながら感じたのは、

環境整備とは単なる片づけではなく、

子どもと職員の命を守るための営みだということだ。

教室の棚やロッカーには、

先生たちが積み重ねてきた歴史と、

毎日、子どもたちと向き合ってきた時間が宿っている。

モノを動かすことは簡単でも、

その思いや文化を動かすことは、決して簡単ではない。

けれど、能登半島地震は問いかけた。

「その配置で、全ての命は守れるのか」と。

可愛さの前に、安全。

思い出の前に、命。

その優先順位を明確にし、実際の環境へと落とし込んできた園の歩みは、

決意の積み重ねそのものだった。

そして気づいた。

人を動かすことには、人が成長することが必要なのだ。

自分の幼さ、こだわり、わがままと向き合いながら、

はじめてチームは動き始める。

そこに、整理収納の本質がある。


「早く行きたいのなら一人で行け。

 遠くまで行きたいのならみんなで行け。」

一人ひとりの心に、ブレずに火を灯し続けてきた結果、

この園には“仲間としての強さ”があった。

それが、何より心に残った。


私の実践の日々も続いてゆく。


2025/11/06
719/1000 三河屋のサブちゃん月間   

今月は、「お客さんに会いに行く月間」。

普段は電話やメールで済んでしまうご挨拶も、実際に足を運んでみると、やっぱり感じるものが違います。

目標は1日15件。もちろんアポなしで。

突然の訪問にもかかわらず、皆さん、手を止めて「おう、いらっしゃい」と迎えてくださる。ありがたいことです。

そして今日も、犬。

事務所でワンちゃんと一緒に仕事をしている会社さん、意外と多いんですよね。

シーズー、シュナウザー、チワワ。

犬好きの私にとっては、もう天国です。

最初は警戒されて「ワン!」と威嚇されるのですが、撫でてあげると、すぐに「まぁこの人なら…」という顔になってくれる。

その瞬間、心がふわっと溶けます。

特にシュナウザーくんは大歓迎モードで、帰り際には私の車に飛び乗ってくる勢い。

「じゃあ一緒に行くか?」と言いそうになるのを、ぐっと踏みとどまりました。

そして、こうして回っていると、色々と困りごとも聞こえてきます。

「最近こういうゴミが増えてさ」「置き場が狭くなってきてね」

ちょっとした愚痴や、まだ言葉になっていない不安もあれば、次につながる話のタネもある。

なんだか自分が「三河屋のサブちゃん」みたいだな、と思うのです。

ただの集金や業務連絡じゃなくて、

「ちょっと寄ったよ、どう?変わりない?」

そんな距離感。

仕事って、書類や契約書の中だけで完結するものじゃなくて、

こういう“間”で育つものなんだな、と改めて感じました。

今日も良い日でした。

明日もまた15件、会いに行ってきます。

次はどんなワンちゃんと出会えるやら。

2025/11/04
717/1000 中小企業とおできと屏風   

昔よく耳にした言葉がある。

「中小企業とおできは大きくなると潰れる」

「中小企業と屏風は広げすぎると倒れる」この格言、

昭和の経営者たちは、身をもって“戒め”としていたのだと思う。

けれど、最近こういった話を耳にすることがめっきり減った。

言う人がいなくなったというより、

私たちが耳を貸さなくなったのかもしれない。

いまの世の中は、拡大や成長という言葉が飛び交う。

だが本来、「拡大」は数字の話で、「成長」は人の話だ。

売上を増やすのは拡大。人が育つのは成長。

人の成長を伴わない拡大は、筋肉よりも先に骨を大きくするようなもの。

形は立派でも、いつか体がもたない。

そこに拍車をかけているのが新規事業に対する補助金の存在だ。

挑戦を後押しする仕組みとしては素晴らしい。

だが、いつの間にか「新規事業=やるべきこと」という目的不明確な歪んだビジョンに踊らされていないだろうか。

実際に、事業再構築補助金を活用した企業では、補助を受けた後に「製品・サービスを1つ以上販売・提供している(事業化段階3以上)」という状況に至った企業が約 59% にのぼるという報告がある。しかし、「利益を出している(収益化している)企業」は約 14% 。

つまり“始めること”はできていても、“続けて結果を出すこと”にはまだ大きな壁がある。

売上至上主義、社長のメンツ、そしてそんなメンコ合戦とも言える幻想に付き合わされる社員たち。


目的を見失った拡大は、

やがて誰かの疲弊を代償として成り立つ。

会社を広げることより、

中にいる人たちが豊かになることを大切にしたい。

“拡大”よりも“成長”を。

“広げる”よりも“深める”を。

時代は変われど、この格言が語る本質は、

今こそ、もう一度見つめ直す価値がある。

2025/11/02
715/1000 夕陽を撮るひと   

日曜日の午後、車の窓から妻が珍しくカメラを構えた。

田んぼの向こう、海から流れてくる雲に太陽が遮られ、その隙間から光が強く差し込んでいる。

「すごいね」

助手席のその声が、いつもより弾んでいた。

最近は休みも仕事をしに会社に行ってしまう。

気づけば三連休もほとんど会社。

新しいプロジェクトのことを考えていると、時間がいくらあっても足りない。

そんな日々の中で、妻を誘って羽黒の「つむぎ」さんへ出かけた。

先日のセミナーでご一緒したご縁もあって、ずっと気になっていたお店だ。

三種のお汁が自慢というお蕎麦は、聞いていた通り、香りも余韻も見事だった。

食後は、ハシゴでお茶。甘いものを少し。

そのあとスーパーや無印、ドラッグストアをひとまわり。

特別な予定も、目的もない。

けれど、そんな「なんでもない時間」が、いまの自分には一番ありがたい。

子どもたちが小さかった頃は、外出ひとつにも作戦が必要で、

二人でこうして歩くことなんて、ほとんどなかったように思う。

家に帰って、妻のスマホをのぞくと、

さっきの夕陽が一枚、そこにあった。