今日、ラジオから久々にレイ・ハラカミの曲が流れてきた。
やっぱりいいなぁと思って聴いていると、
パーソナリティーが「この曲、実は古いデジタル楽器で作られているんです」とふと話した。
その一言で、音が急に立体的になった気がした。
完璧とはいえない昔のデジタル機材。
粗い波形や遅いレスポンス、経年の揺らぎ。
その“欠けた部分”が、逆にあたたかさをつくっているのだろう。
デジタルなのに人肌みたいな丸さがある不思議な音だ。
サブスクで音楽があふれるようになって、
曲の背景を知る機会はめっきり減った。
気に入ったら次、また次へと流れていく。
便利だけれど、奥のほうにある物語までは届かないことが多い。
そんなことを思っていたら、ふと90年代の頃を思い出した。
ケミカル・ブラザースが登場し、
打ち込みなのに妙に“生っぽい”ドラムに圧倒された時代だ。
メカニカルなはずのドラムが、なぜか人間の体温を持って聴こえる。
あれは、生ドラムのサンプルやMPCの揺れ、
アナログ卓の歪み、あえて整えないループ……
そうした“機材のクセ”そのものが音に残っていたからだ。
レイ・ハラカミの丸い電子音も、
ケミカルの荒々しいドラムも、
向き合っていたのは、生かデジタルかではなく、
もっとその先にある“揺らぎ”だったのかもしれない。
便利さがすべてを均一にしていく今、
こういう不均一な音に触れると、
なんだかホッとする。
アナログ盤でも探してみるかと考えている。