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毎日ブログ

2025/09/29
683/1000 10月こそベストシーズン、お片付けのすすめ   

自販機に温かい飲み物が並びはじめ、秋の深まりを一層感じるようになりました。

この時期、ホテルでは夏に大活躍したグッズを片付け、冬に向けた準備が始まります。そのため、ホテルからの粗大ごみ収集のご依頼も一気に増えてくるのです。

一般的に「お片付けは年末」というイメージが根強く、実際に私たちへの講演依頼も12月に集中します。ですが、12月に入ってからではすでに遅いのが現実。寒さに震えながら片付けるのは大変ですし、慌ただしい年末の時間の中で腰を据えて取り組むのは至難の業です。

その点、10月は暑くもなく寒くもない、まさにお片付けのベストシーズン。落ち着いて家と向き合い、暮らしを整えるのにぴったりのタイミングです。

年末に「もっと早くやっておけばよかった」と後悔しないためにも、今年は少し前倒しで動き出してみませんか。

片付いた空間は、心の余裕にもつながります。きれいに整った部屋で迎える冬、そして新しい年は、きっとこれまで以上に穏やかで気持ちよいものになるはずです。

2025/09/27
681/1000 偉い人ほど約束、破りがち   

無印良品酒田でのイベント初日が終わりました。

私は「わけるとわかるわけるくんインストラクター」として参加者のみなさんと一緒に、片づけの癖や心の癖を探るワークを行いました。

無印良品では「からだとくらしの広場」と題して、地域のみなさんとつながりながら暮らしに役立つ体験や学びの場をつくっています。食や住まい、健康や学びといった日々の暮らしを豊かにするテーマを、地域の人や団体と一緒に育てていく取り組みです。今回のイベントもその一環として開催され、庄内お片づけ部として参加させていただきました。

「わけるくん」とは、モノの整理を通して自分の価値観や思考のクセに気づけるカードゲームのようなワークです。様々な種類のカードを自分が定めたルールで分けていくうちに、人それぞれの判断軸やこだわりが浮き彫りになるのが特徴。遊び感覚で取り組めるのに、整理の本質が見えてくる優れものです。

そんな「わけるくん」での体験の中で、ある方が語った言葉が胸に刺さりました。

「ルールは大切。だから守ろうとするのは尊いこと。でも決まって守らないのは、上に立つ人、偉い人なんですよね」

ふと、政治や社会の姿が重なります。法律や制度といった「ルール」を守るのは、多くの市民や現場の人たち。ところが、発言力や権力を持つ側がそのルールを逸脱し、結果として下の立場の人が後始末を担わされる。しかもその努力は、ほとんど評価されることがありません。

社会に限らず、組織の中でも同じことが起こりがちです。ルールをつくる側であるほど、その重みを忘れてはいけない。そう教えられた気がしました。

今日のワークで得た気づきは、自分自身への戒めでもあります。立場が上になるほど、ルールを軽視しがちなのかもしれない。そうならないように、まず自分が律すること。それが、まわりへの何よりのメッセージになるのだと思います。

そして明日28日(日曜日)14時〜17時、会場にてまたみなさんとお会いできるのを楽しみにしています。

2025/09/25
679/1000 からだとくらしの広場に、庄内お片づけ部も出展します  

令和7年9月27日(土)と28日(日)、酒田の無印良品さんを会場に「からだとくらしの広場」が開催されます。

健康チェックや体験企画が盛りだくさんで、お子さんから大人まで、ふらっと立ち寄って楽しめるイベントです。

今回、庄内お片づけ部として私たちも出展いたします。

庄内お片づけ部は、地域に整理収納の価値や魅力を発信している、庄内在住の整理収納アドバイザー1級取得者の有志による団体です。

「片づけを通して暮らしを軽やかに、そして心も健康に」を合言葉に活動を続けています。

ブースではこんな体験をご用意しています。

○お片づけ相談

 片づけのプロに気軽に質問できます。小さなお悩みも大歓迎。

○色と形のカード『わけるとわかるわけるくん®』体験

 自分の片づけのクセを知り、暮らしをもっと快適にするヒントが見つかります。

○冷蔵庫収納のコツ

 毎日の食生活を支える冷蔵庫。スッキリ整理して、健康的で使いやすくする工夫をお伝えします。

実は私、この「わけるくん®」のインストラクターでもあります。

私の出番は9月27日(土)の14時〜17時、そして9月28日(日)の14時〜17時。

この時間帯に「わけるくん®」体験をしていただけます。

会場にて、あなたの片づけのクセ、そしてそこから透けて見える“心のクセ”まで、ご指南(?)させていただきます。

ゲーム感覚で体験しながら、「あ、これって私の思考のパターンだ!」と気づいていただければ嬉しいです。

片づけは、単なるモノの整理ではありません。

心や体の負担を軽くし、家族のコミュニケーションも豊かにする「暮らしの基盤づくり」です。

「からだ」と「くらし」を見つめ直すこのイベントで、私たちのお片づけ提案が、皆さまの新しい気づきや安心につながればうれしいです。

どうぞお気軽に、会場に遊びに来てください。

2025/09/23
677/1000 お彼岸に義父とともに   

お彼岸ということで、妻の実家のお墓参りに出かけました。

義父はいつになく陽気で、孫たちと並んで写真を撮りたがったり、いつもは家で待っているのですが、一緒に墓参りに行った私を開山堂へ案内してくれたりしました。

その姿に「今日は特別だな」と感じていたのですが、ふとした拍子に義父の口から出てきた言葉が、少し胸に残ります。

「そろそろ終活しなきゃな」

「今の写真は遺影に使って欲しい」

「この家を片付けると、どのくらいかかるんだ?」

笑顔の裏にちらつく現実。冗談半分に聞こえながらも、その一言一言が心配になってしまう。

けれど同時に、こうして自分のことを笑いながら語れるのは、元気でいる証なのかもしれません。

お墓参りを終え、帰りに買ったアイスクリームをみんなで食べながら撮った写真の義父は、少し子どものように無邪気な笑顔でした。

その写真を家族のLINEグループにアップすると、東京にいる娘たちからすぐに返信がありました。

「じい、かわいいね」

「背抜かれたね」

「久しぶりに行きたいな〜実家」

そんな言葉に画面越しに笑い合う家族。離れていても、ひとつの笑顔でつながる瞬間がありました。

その笑顔を見ていると、「まだまだこれから」と思いたくなるのです。

2025/09/21
675/1000 知らなければ同じ、知ればまるで別物   

似ているけど、見る人が見るとまったく違うものってあります。

私が今、初段を目指して練習している習字なんかもそうです。興味のない人に言わせれば「どっちも上手いじゃん」で終わってしまう。けれど、筆の入りや払い、余白の取り方を知れば知るほど、見え方が変わってくる。自分の字の稚拙さに気づかされるのと同時に、奥深さがどんどん顔を出してくるのです。

同じことを、この頃はじめたコーヒーのハンドドリップでも体験しました。最初に淹れた一杯が偶然にも好評で、プロから「豆の旨みをストレートに表現している」と褒められ、すっかり気を良くしてしまった私。ところが、二杯目からはどうにも再現できない。何度淹れてもあの味に届かず、ただただスランプの中でもがいております。

温度計を買い、ミルの荒さを変えてみたり、お湯を注ぐ(置く)速度を調整したり。小さな変化を繰り返しては試し、繰り返しては悩む。そのたびに妻は「美味しいよ」と言ってくれるのですが、自分の中ではどうにも納得がいかない。凝り性と言われればそれまでですが、その「納得のいかなさ」こそが、実は面白くて仕方がないのです。

知らなければ「どれも同じ」で済んでしまうこと。けれど一歩踏み込んだときに見えてくる違いが、日常を深くしていく。

習字もコーヒーも、結局はその繰り返しにハマっているのだと思います。

2025/09/19
672/1000 風の時代は、誰を選ぶのか   

末の娘が、街に「選挙ポスター掲示場」が立ち始めたのを見て「これで次の総理大臣を選ぶの?」と聞いてきました。

テレビでは自民党総裁選挙のニュースが流れ、街角にはこれから市長選と市議会選候補者の顔写真が並ぶ。どうやら子どもなりに、断片的な情報をつなぎ合わせて政治のことを考えているようです。もちろんまだ偏ってはいますが、そんな会話が出てくるだけでも成長を感じます。

そう、鶴岡ではまもなく市長選挙と市議会議員選挙が始まります。

「この人にも入れたい、この人にも」と思ってしまうのが本音。でも実際に投じられるのは、たった一票だけ。だからこそ悩ましく、だからこそ大切なのだと思います。


しばらくすれば、選挙カーが賑々しく街を駆け抜け、なんとも言えないピリ付いた空気になるのでしょう。

もちろん結果も楽しみな今回の選挙。鶴岡がどんな街に変わって行くのか、後に振り返った時に語り草になるような予感があります。


そして、最近あまり耳にしなくなったように感じますが「風の時代」という言葉。西洋占星術では、土の時代から風の時代へと星の配置が移り変わり、人とのつながりや情報、自由な発想が重んじられる時代になったといいます。

風の時代は、果たして誰を選ぶのか。

その答えは、私たち一人ひとりの一票の先に、静かに待っているのかもしれません。


2025/09/17
670/1000 180cmと書ける日がきた   

先日、毎年恒例の健康診断がありました。

結果を見て、思わず二度見してしまったのが「身長」。なんと179.9cm。これまでは179.4cmあたりで安定していて、何か記入する際にも「179cm」と書くのが当たり前でした。ところが今年は、あと1ミリで大台の180cm。これはもう胸を張って「180cm」と書ける日がきたのではないかと思わずニヤリ。

もちろん、年齢を重ねて背が伸びたわけではありません。むしろ自然の流れとしては少しずつ縮んでいくはず。それがわずかに“伸びた”ように見えたのは、この一ヶ月ほど続けてきたパーソナルトレーニングのおかげだと思います。

私が最初に目標に掲げたのは「姿勢の改善」でした。筋肉を大きくするでも、急激に体重を落とすでもなく、ただ自然に正しく立つこと。胸を張りすぎず、肩の力を抜いて、すっと背筋を伸ばす。そのためにコツコツと積み重ねてきたのです。

その成果が、思いがけず「数値」として表れた。たった5ミリの違いですが、自分にとっては大きなご褒美でした。

「努力は裏切らない」というマラソンランナーの名言がありますが、今回の180cmはまさにその言葉を少しだけ実感させてくれる出来事でした。

2025/09/15
668/1000 今年の目標、今だから見えてくること  

2025年も残り100日を切りました。

改めて振り返ってみると、順調に進んでいる目標もあれば、軌道修正が必要なものもある。なかには「そもそも、なぜ立てたんだっけ?」と首をかしげるものもあります。

日記帳を読み返しながら「あの月にはこんなことがあったな」と思い出すのは楽しい時間です。予想もしなかった出会いや出来事から、新しい目標が生まれていたりするのも興味深いところ。

けれど、忘れてならないのは「なんの為に」という原点です。そこさえぶれていなければ、目標は通過点にすぎません。予定通りに進まなくても、根っこが定まっていれば、進む方向は変わらないのです。

そしてもうひとつ大事なのは、この9ヶ月をなんとかかんとかやってこれたということ自体への感謝です。完璧じゃなくても、計画通りじゃなくても、毎日を積み重ねてこれたこと。それを支えてくれた人たちや、日々の小さな出来事に、あらためて「ありがとう」と言いたい気持ちになります。

残り100日。

不足を数えるより、ここまでやってこれたことに感謝しながら、「なんの為に」を胸に、また一歩ずつ。今年の終わりにはきっと、そんな自分を少し誇らしく思えるのではないでしょうか。


2025/09/13
666/1000 苦難の中に、明るさを探す  

人生には、必ず苦難が訪れる。

自分の力で対処できることもあれば、どうにもならないこともある。

そのどちらにせよ、心が折れそうになり、逃げ出したくなる瞬間がある。

以前、10億円以上の借金を背負いながら、何度もどん底から立ち上がった経営者からこう聞いた。

「苦難と喧嘩するな。」

苦難がやってくると、怖い、逃げたいという気持ちがあふれ出す。

そしてそれを脱したいと焦り、苦難と戦ってしまうことが多い。

しかし、それではますます出口が見えなくなってしまう。

そこで大事なのは、喧嘩をしないこと・戦わないこと。

ありのままを受け止め、心を空にして、ほんの少し前に進んでみること。

その小さな一歩が、未来を変えていく。

そしてもうひとつ、大切なのは「明るさ」なのだそうだ。

ここでいう明るさとは、無理に笑ったり、陽気にはしゃぐことではない。

真っ暗闇の中、窓の向こうに浮かぶ月あかりを見ること。「明」にはそんな意味がある。

それが前を向くということ。

これこそが、明るく生きるということなのだ。

2025/09/11
664/1000 道端の大吉   

最近、道端に落ちているゴミを「誰かの落とした幸運だ」と思って拾うようにしている。ペットボトルや空き缶を見つけては「ラッキー」と口に出し、ひょいと拾う。そんな遊び心を続けていたら、今日、また「ラッキー」と言いながら拾い上げたものがあった。

それは、なんとおみくじだった。

私は普段、おみくじを引かない。初詣で家族が盛り上がっていても「俺はいい」と遠慮している。くだらないと思っているわけではない。むしろ、めちゃくちゃ気にしてしまうからだ。新年早々、大吉以外が出たら嫌だ。そんなジンクスを抱えているから、そっと距離を置いている。

なのに、図らずも手にしてしまったおみくじ。雨に濡れ、しわしわになっていたその紙を、破れないようにそっと広げてみた。そこには「大吉」とあった。

一般的に大吉が出るのは20%前後の確率だそうだ。

でもそれは自分でおみくじを引いた場合の話。では──道端に落ちているおみくじが、たまたま大吉である確率は? 20%に加え、その紙が風に飛ばされ、雨に打たれ、そして私の前に落ちている確率を掛け合わせる。もうほとんど天文学的な数字になってしまう。

そんな巡り合わせで、私は大吉を拾った。

これはもう偶然ではなく、何かの必然かもしれない。

だから私は、このおみくじをお守り代わりにすることにした。財布の片隅にそっと忍ばせておく。見るたびに、道端の「ラッキー」を思い出して、また前を向ける気がするから。

2025/09/09
662/1000 自分を責めそうになったときのマジックワード   

今、スタッフと一対一で面談を行っている。

「〇〇が悪い」「こうして欲しい」──様々な要望や意見、時には愚痴のような言葉が飛び交う。

そんな中で多いのは、他人ではなく自分を責めてしまう声だ。

「自分がもっと頑張ればよかったのに」「自分が至らなかったから」……。

実は私自身も、かつてはよくそうやって自分を責めていた。

最近は少なくなったとはいえ、ふと「ああ、また自分を叱っているな」と気づくことがある。

自分を責めても他人を責めても、人間関係というのはギクシャクしがち。

そんなときに効果的なのが「マジックワード」だ。

心を転換して自己を肯定する言葉。

それが「意外と自分は」という枕詞である。

「意外と自分は頑張ってきた」

「意外と自分は人に支えられてきた」

「意外と自分は続けてこられた」

そうやって言葉にしてみると、不思議と気持ちが和らいでいく。

少しだけ胸がひらけて、人に対しても優しくなれる。

完璧を目指すよりも、まずは「意外と自分は大丈夫」と認めてみる。

それだけで心は少し軽くなり、人との関わり方も自然と前向きになっていくのだ。

2025/09/07
660/1000 あっさりと差し出す親心   

末の娘がコロナになり、ここ数日は妻と高一の息子と私の3人だけの食卓だ。

いつものように息子は片耳にイヤホンをして、iPadでYouTubeを観ている。そんな時、私は決まってこう声をかける。

「それ観せて」

すると息子はイヤホンを外して、画面をこちらに向けてくれる。そこから会話が始まるのだ。

今夜の話題は藤井風の新曲「Prema」。インドの言葉で“無条件の愛”を意味するらしい。「やっぱり彼は天才だよな」という話で盛り上がり、一緒に音を確かめるように聴く。

そこから話題は、私がお土産に買ってきた本『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』(びーまん著)へと移る。息子がよく観ているYouTuberが書いたものらしく、「面白い」と言いながらページをめくっている。

さらに流れは学校の音楽の授業の話に。ギターで「大きなのっぽの古時計」を弾いているらしい。

「一番簡単で、しかもカッコいいやつを教えてやろうか?」と、私は軽く差し出すように話す。紹介したのはSmashing Pumpkinsの『Tonight, Tonight』。私が高校三年の時にヒットした曲だ。あの頃の自分に響いたように、今度は息子にもその音が届いた。やがて彼は、私のギターを持ってぎこちなく弾き始めた。世代を超えて音楽がつながる瞬間だった。

表向きはたわいない会話に見えるけれど、その裏には少しだけ親心がある。

本は、手に取ったら一緒に話せたらいいなくらいの気持ちで置いてある。

ギターも、弾きたいならいくらでも教えるけれど、無理に押しつけるつもりはない。

「こうなって欲しい」と形を決めてしまわないこと。

そのくらいの距離感が、今の自分にはちょうどいい。

2025/09/05
658/1000 やっぱり家が一番いい。   

二泊三日の大阪研修を終えて帰ってきた。

出発前はいつも「めんどくせ〜」と思うのに、不思議なことに数日で都会のリズムに体が馴染んでしまう。帰る頃には「帰りたくね〜」と感じるくらいに。

台風の予報に振り回され、飛行機は飛ぶのかとやきもきしたが、傘を広げることもなく帰路につけた。

そして、窓の外に広がったのは、黄金に染まりはじめた稲穂。湿り気を帯びた大阪の空気とはまるで違う、甘くて爽やかな香りが鼻をくすぐる。胸いっぱいに吸い込むと、身体の奥まで洗われるようだった。

高い空が、クラクラするほど広がっている。

その下で風に揺れる稲穂は、まるで波のようで、見慣れた景色なのにどこか異国の風にも見える。

「いい町だ」と思った。

旅を経て気づくのは、結局ここに帰ってきたいという気持ち。めんどくさいと出かけては、最後にこうして町を褒めている自分がいる。

おばあちゃんが旅行から帰るといつも言っていた言葉を思い出す。

──「やっぱり家が一番いい」。

2025/09/03
656/1000 旅先で出会った、17歳の自分に贈りたい本   

本日は、山形県産業資源循環協会庄内支部の視察研修にて大阪へ。

関西クリアーセンターという新しく完成した廃棄物の中間処理施設を見学させていただきました。最新の設備が並び、現場の工夫や熱意を肌で感じることができ、やはり実際に足を運ぶと得られるものがあるなあとしみじみ思います。

ところで、出張のときにいつも頭を悩ませるのが「お土産」。昔、ある先輩に「どこかに行ったら必ずお土産を買って帰りなさい」と言われたことがあります。「旅行中でも君のことを考えていたよ」というメッセージになるから、と。そのとき先輩は、「だから中身はなんでもいいんだ」と笑っていました。なるほど、確かにお土産って、モノより気持ちが大事なのかもしれません。

そんなことを思い出しながら、伊丹空港に降り立ってまず目に入ったのが本屋さん。店先に並んでいたのが『17歳のときに知りたかった 受験のこと、人生のこと。』という本でした。表紙の青い空に惹かれ、気づけば手に取っていました。

パラパラと目次をめくってみると──これ、俺も17歳で読みたかったかも、と心の中でつぶやきました。あの頃の自分が抱えていた不安や迷いに、きっと何かしらの答えやヒントをくれただろうなと。そんな本を、今の息子に手渡せるのはちょっとした贈り物だなと思います。

まあ山形でも買えるとは思いますが、こういう出会いって面白いですよね。旅先での偶然が、少しだけ特別な一冊にしてくれる気がします。

2025/09/01
654/1000 スニーカーと日傘と電子マネーと──大阪万博へ   

今週は、山形県産業資源循環協会庄内支部のみんなと一緒に、大阪万博へ行くことになった。実は予約したパビリオンにはことごとく外れた。少し残念ではあるけれど、まあ、それも旅の味わいだ。思いどおりにいかないからこそ、予想外の面白さが待っている気がする。

出発の準備をしながら、今回はいつもと違う選択をした。革靴を履くと間違いなく決まるんだけれど、会場を歩き回ることを考えて、ドレス寄りのスニーカーにしてみた。軽やかな足取りで未来都市を歩くのも悪くない。テンションは革靴だけど、実用性はやっぱりスニーカーの勝ちだ。

それから日傘も持った。昔は「男が日傘?」なんて言われたものだけれど、今はすっかり常識になった。真夏の大阪で涼しい顔をして歩くなら、これがいちばんの相棒だろう。

会場は電子マネーオンリーと聞いて、PayPayと交通系ICの両方をしっかりチャージして準備完了。移動はICカード、ポイントはPayPay、万が一のトラブルにも安心だ。

そして何より楽しみにしているのが、日本館と海洋ゴミのパビリオン。海と一緒に生きてきた町に暮らす者として、このテーマにはやっぱり惹かれるし、日本館も外せない。閉館時間まで粘ってでも見たいと思っている。仕事のヒントになるだけじゃなく、自分の暮らしの中にも何か持ち帰れそうな気がしている。

きっと当日は人の波に揉まれ、足もクタクタになるだろう。それでも、新しい景色や考え方に出会えるなら、それだけでこの旅は十分だと思う。