月曜日から九月が始まる。
天気予報は「まだ暑い日が続きます」と言っているけれど、
朝の風のどこかに、秋の気配がまぎれこんでいるのを感じる。
田んぼの稲が陽を浴びて色づきはじめ、
虫の声が夜をにぎやかにしはじめると、
季節は何事もなかったように、静かに歩を進めていく。
学生の頃は、新学期が始まるたびに
席替えやクラス替え、担任の先生の交代があって、
気持ちの切り替えは自然にやってきた。
けれど大人になると、同じ机と同じ顔ぶれの中で、
昨日と今日と明日が、なめらかにつながっていく。
気づけば、季節だけが先に進んでいる気がするのだ。
だから私は九月になると、手帳を新しくする。
スマホで十分な時代に、わざわざ紙のページをめくるのは、
自分の時間に小さな節目をつくりたいからだ。
真っ白なページを前にすると、
これからの季節をどう過ごそうかと
少しだけわくわくしてくる。
周回遅れのトップランナーなど存在しない。
変化は、自分で起こすものだ。今朝、長女が東京へ戻っていった。庄内発羽田行きの朝一便でそのまま職場へ向かったらしい。久しぶりの帰省で家の空気にすっかりリラックスしたのか、昨夜はいつになく上機嫌だった。
少しお酒も手伝って、よく笑い、よくしゃべり、そして最後はぐっすり眠る──そんな無邪気な姿に、家族みんなでつい笑顔になった。まるで子どもの頃に戻ったようなひとときだった。
そして今回の長女の帰省をきっかけに、小林家のLINEグループがにわかに活気づいた。東京暮らしの次女と2人を加えてリニューアルしたとたん、未読メッセージが20だ30だと、一気ににぎやかになったのだ。
スタンプが飛び交い、誰かが写真を送ればすぐにコメントがつき、気づけば話題はあっちこっちに脱線していく。どうやら家族LINEが楽しくて仕方ないらしい。離れて暮らしていても、こうして家族の会話に混ざれるのが嬉しいのか、それとも少しだけ寂しいのか。
スマホの向こうで笑っている顔を想像しながら、こちらも返信する。離れていても家族の声がすぐそばにある──そんな時代になったものだ。
そして長女曰く、「お父さんはツンデレ」なのだそうだ。つかさず妻が末の娘に「ツンデレって何?」と聞いて、みんなでまた大笑いした。私はこれまで、「足るを知る」という言葉をどこか諦めのように捉えがちだった。満足してしまったら、それ以上先には進めないのではないか。欲を持たなければ成長もないのではないか。そんな風に思っていた。
けれど最近になって気づいた。足るを知るは諦めではない。むしろ、自分を全力で肯定することなのだと。うまくいったことも、いかなかったことも、欠けていると思う部分も含めて、「これが私の今だ」と受け止めること。そこから初めて、人は余計な不足感や劣等感から解放される。
不思議なもので、そうやって自分にOKを出したときにこそ、「これをやりたい」「誰かの役に立ちたい」といった思いが静かに芽生えてくる。使命のようなものは、焦りや劣等感からではなく、足るを知る心の静けさから生まれるのだ。
次のステージに進む人と、同じところをぐるぐる回る人の違いは、きっとそこにある。諦めが未来を閉ざす感情だとすれば、足るを知るは未来をひらく感情だ。
だから今日も、この言葉をそっと思い出しながら過ごしてみようと思う。先日、あるご夫婦から世界一周クルーズの話を伺った。三か月かけて地球をぐるり。想像しただけで胸が高鳴る。しかも船内はすべて食べ放題。ディナーは毎晩フランス料理のフルコースを、いくらでも食べられるという。
そうなると、歩いて乗船した人が、下船のころには杖をついて帰ることになるらしい。船旅というのは、どうやらロマンと同じくらい、カロリーとも戦うことになるようだ。
そして夫婦での参加者たちの姿がまた興味深い。もちろん仲睦まじいペアもいるが、実は少数派。多くは「うちの人はね…」と、相方への不満を延々とこぼす人も少なくないらしい。広い海の上で、どうしても話題に困るのか、それとも本音が波に揺られて出てしまうのか。
中には「一人のほうが気楽でいいわよ」と笑うご婦人たちもいたという。三か月というのは長い。自由を満喫するには、相手との距離感も大切なのだろう。
参加者の七割以上は60代以上。海の上で出会う人生のベテランたち。食べ放題と夫婦模様、そして寄港地での小さなドラマ。聞いているだけで、こちらまで小さな旅をした気分になる。
夫婦で世界旅行に行くというのは、その関係性も含めて、きっと人生のテーマなのだ。旅はどこへ行くかより、もちろん誰と行くかだ。
お客様なのですが、いつもものすごい態度の方がいらっしゃいます。こちらが名乗るやいなや、嵐のような口調で用件が始まる。私たちは奴隷ですか?と聞きたくなるほどの迫力です。
もちろん仕事ですから、笑顔で受け答えします。でもスタッフと顔を見合わせて「客商売なのに、あの態度ってどうなの?」とつい言いたくなる。いや、むしろあれだけ鼻息荒くしていたら健康に悪いんじゃないかと、心配すらしてしまいます。
昔、先輩経営者から「三方よし」という言葉を教わりました。売り手よし、買い手よし、世間よし。商売ってそういうものだと。だから今は鼻息荒い人も、長いスパンで観察してみたら面白いんじゃないか、とその先輩は笑っていました。
思えば、私の若い頃もそうだったのかもしれません。勢いだけで突っ走って、相手の立場も考えず、今思えば恥ずかしいくらい。多分、経営者になっていなかったら、そんな事にも気がつけず今でもそんな風に振る舞っていたんじゃないかと思います。
結局のところ、みんなコンプレックスとか、マウント取りたい気持ちとか、つまらぬ何かを抱えて、生きているかわいい存在でもあるのです。可愛いなと思うと、こっちの気持ちまで晴れてきます。みんな「人間だもの」夏休みも終わり、今日から高一の息子は登校です。最後まで手をつけられずに残っていたのは、やはり読書感想文でした。机に向かう姿を見ながら、かつて自分も同じように最終日の夜に原稿用紙と格闘していたことを思い出します。
今回、父である私が薦めたのは三島由紀夫の『金閣寺』でした。若いころに衝撃を受けた作品で、息子にもぜひ触れてほしいと思ったのです。しかし実際に読み進めてみると、言葉の難しさや世界観の重さに心が折れてしまったようで、途中で断念。やはり読書というのは、人に押しつけられて味わえるものではないのだと、あらためて気づかされました。
そのとき私は冗談めかして「なあ、あんな筋肉ムッキムキのおじさんが、こんなに繊細な文章を書くと思わなかったろ?」と聞いてみました。息子は苦笑しつつも同意。しかし一枚上手で、「切腹の時に脂肪が飛び散るのを嫌って鍛えていたそうだよ」と返してきました。なかなか勉強しているようで、父としてはちょっと舌を巻きました。
そして急遽彼が選んだのが小川洋子さんの『博士の愛した数式』でした。記憶が80分しかもたない博士と家政婦、そして少年の交流を描いた静かな物語です。数学が苦手で文系を選んでいる息子ですが、仲良くなる友人はなぜか理系ばかり。最近は「2年生から理系に進むべきか」と悩んでいます。先生からは「得意・不得意で決める必要はない」と助言を受けているものの、まだ心は揺れているようです。
そんな息子にとって、この物語は大きな発見をもたらしたようでした。博士が数式を通じて見ている世界には、冷たい記号ではなく、人の心や関係を映し出す温もりがある。数字の中にもドラマやストーリーが潜んでいる。そのことに気づけたのは、理系に苦手意識を持つ彼にとって思いがけない収穫でした。
昨夜遅くまで原稿用紙に向かい、何度も書き直しながら仕上げた感想文。仕方なく読んだ本ではなく、自分で選び取った一冊だからこそ、最後まで向き合えたのでしょう。読書感想文とは、結局のところ「何を読むか」よりも「どう選ぶか」に意味があるのかもしれません。
夏休み最後の夜、息子の背中を眺めながら、そんなことを感じたのでした。
アラフィフともなると、それなりに経験を積んでいる。
もちろん役に立つ場面も多いが、ときに先入観となって勘違いを生むことがある。
先日、家財整理のお見積もりで約束したお客様。
私は「この方は仕事をされていない」と勝手に思い込み、13時に伺うことにした。
(経験上、仕事をしている人の昼一は13時30分、していない人は13時──そんな“自分ルール”があったからだ。)
ところが伺ってみると不在。
携帯に電話しても「現在使われておりません」とのアナウンス。
仕方なく現場を後にしたが、よく確認すると──電話番号は「090」ではなく「080」。
さらに、相手の昼一はやはり13時30分だった。
思い込みで時間を決めつけ、番号まで早とちり。
たったそれだけで仕事が止まってしまう。
経験は武器になるけれど、裏返せば落とし穴にもなる。
そして最近の私は「これまでの経験だと」と口にすることが増えた。
もしかすると──「老害」の初期症状かもしれない。会社終わりに、みんなでバーベキューを開催しました。
昨年から復活した恒例行事。今年はついに生ビールサーバーも登場し、ぐっとパワーアップです。
テーブルと椅子には、家財整理でレスキューした“茶箱”を活用。
ざらりとした木の質感がなんとも雰囲気よく、テーブルにすれば味わいが出るし、椅子にすれば不思議と腰が落ち着く。あぐらをかいても大丈夫で、思いのほか座り心地がいいのです。
そして今回の目玉は、鉄砲撃ちの方からいただいた“イノシシ肉”。
ジビエと聞くと、どうしても「クセが強い」「硬い」という印象がつきまといますが──ひと口食べて驚きました。臭みはまったくなく、むしろタンパクでふっくら。噛むほどに優しい旨味が広がり、「これ本当にイノシシ?」と皆で顔を見合わせるほどでした。ジビエのイメージが覆された瞬間です。
夜風に吹かれながらの一杯と、茶箱テーブルを囲んで味わう山の恵み。
そして何より、普段の仕事中には聞けないスタッフの“生の声”があちこちから飛び出してくるのも、こうした時間ならではの発見でした。
今年の夏の夜は、ちょっと特別なバーベキューになりました。昨日はお盆でお墓参りを済ませ、夕食の席で母や妻と話をしているうちに、自然と「戦争」の話題になった。
私の祖父は通信兵で、子どもの頃によくモールス信号の打ち方を教えてもらった記憶がある。妻の祖父は整備兵で、躾にはとても厳しかったそうだ。母方の祖父は衛生兵で、母が子どもの頃にはペニシリンの注射をお尻に打たれたこともあったという。
それぞれの祖父が、戦場でどんな思いを抱えていたのか、私には想像もつかない。ただ一つ分かるのは、戦争が生活と地続きのものだったということだ。どの家庭でも、男たちは皆、戦地へと赴いていたのだ。父方、母方の祖父の兄弟たちも例外ではなく、帰らぬ人となった。
いま食卓でその話をしている自分にとっては、戦争は遠い過去の出来事に思える。
それでも「皆が行っていた」という事実を前にすると、戦争に行くのが当たり前の世界があったことに、驚かされる。
お盆のひととき、祖父たちの話を通して、もう会うことのできない人々に想いを馳せる。語り継がれる断片から、歴史は今も静かに生きているのだと感じた。創立50年を間近に控えた事務所には、モノの垢だけでなく、データの垢も積もっている。
それは埃のようにそっと溜まっているわけではなく、時に机の角で足の小指をぶつけたような痛みを伴って存在を主張する。
定休日の事務所にこもり、昨日からその垢を落としている。
今日で終わらせるつもりだったが、どうやら明日までびっちりかかりそうだ。
半世紀の歴史を背負ったデータは、ひとすじなわでは整理できない。
情報というのは不思議なもので、活かす情報にもなれば、ただの置物にもなる。
道具と同じで、使う人によってまったく違う活き方をするからだ。
そのためには、扱う人の力量を探り、「どうなって欲しいのか」を一緒に考える必要がある。
だから書類やデータとにらめっこしているだけでは、ゴールは見えてこない。
情報のアップデートは、ただファイルを入れ替えるだけでは済まない。
それを扱う人間のマインドも変わらなければ、本当の整理はできないのだ。
いや、変わるというよりは、新しいOSをインストールする必要があると言った方がいい。
古いバージョンでは、新しいデータ形式が開けない。
効率も、速度も、そして発想も、最新の環境とは雲泥の差がある。
掃除まで手を伸ばす余裕は今日はない。
書類の山は、相変わらず机の端でこちらを見下ろしている。
「俺の番はいつだ?」と言われているようだが、それは次の定休日に回そう。
外の空は、すでに夏の夕暮れ色。
今日もまた、ひとつのフォルダを閉じて、明日こそは掃除まで…と心の中でだけ予定を立てる。妻が夫婦割で予約を入れてくれて、映画『国宝』を観に行った。
娘いわく「ポップコーン食べる暇がないほど面白いらしい」映画だそうで、確かにその通りだった。
上演前にはくちゃくちゃと音を立てていた観客も、無音が多いこの映画が始まると、ピタッと手を止めた。
この美しすぎる映画には、ポップコーンが入り込む隙が微塵もない。
何度も涙でスクリーンが霞んだが、それを妻に気づかれないよう、涙を拭わず流しっぱなしにしておいた。
印象深かったのは、主人公の「神様じゃない、悪魔と取引したんだ」という一言。
その一瞬の美しい景色を求め、自分の人生の全てを投げだす生き様に、胸を突かれた。
ふと、ギターのテクニックを手に入れるために悪魔と取引をした——そう語られる伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンが頭をよぎる。
芸を極める者は、時代も国も関係なく、同じ危うい橋を渡るのだろう。
自分ではきっと映画館には観に行かなかったであろう作品。
夏休みのいい思い出になった。私は、いわゆる“ゴミ屋の倅”だ。
父の仕事柄、子どもの頃からごみと隣り合わせで育ってきた。だからなのか、道端にごみが落ちていると、悲しい気持ちになる。それは時に怒りに変わり、「なんでこんなことをするんだ」とつぶやきながら拾っていた。
そんな習慣は大人になっても変わらない。自家用車にはいつでも拾えるようにゴミ袋を常備し、出先で見かければ迷わず手を伸ばす。だけど、長年続けていると、時々気持ちが重くなることもあった。拾えば拾うほど、「なんでこんなに捨てる人がいるんだ」と考えてしまうからだ。
そんな私に、ある先輩が教えてくれた。
「ゴミを拾うときは、“ラッキー”って言ってみな」
最初は意味がわからなかったが、先輩は続けてこう言った。
「道端のごみは、ラッキーの塊なんだよ。誰かが捨てたラッキーを、ありがたく拾わせてもらう。だから声に出して“ラッキー”」
試しにやってみたら、不思議と気持ちが軽くなった。
空き缶を拾いながら「ラッキー」、コンビニ袋を拾いながら「ラッキー」。小さくても口に出すと、怒りや悲しみよりも、ちょっとしたゲーム感覚が勝ってくる。
「なんでこんなに捨てるんだ」から「今日は何回ラッキーに出会えるかな」に変わった瞬間だった。
考えてみれば、気持ちの持ち方ひとつで同じ行動もまるで違うものになる。ごみを拾うことが、怒りや義務じゃなく、ちょっとした喜びに変わるのだから不思議だ。
今でも私は車にゴミ袋を積んでいる。
だけど、その袋を手に取るとき、昔のように眉間にしわは寄らない。
「ラッキー」
そうつぶやきながら拾ったごみ袋の中には、今日も小さな幸せが詰まっている。先週からピラティスを始めた。
姿勢を良くしたい。ただそれだけの動機だった。
でも、すぐに気づかされた。
姿勢を正すというのは、筋肉を“鍛え直す”ことでもあった。
つまり、使ってこなかった場所に意識を向け、目覚めさせることだった。
レッスンのあと、肩の奥や胸のあたりがズキズキと痛む。
こんなところに筋肉痛?と不思議に思いながらも、それは新鮮だった。
体の深部に埋もれていた“自分の力”を掘り起こしている感覚。
変わるというのは、こういうことなのだろう。
痛みをともなう。でも、それは前に進むときの合図でもある。
ふと思った。
自分に変化を求めることと、会社に変化を求めることは、きっと繋がっている。
うちの会社はもうすぐ設立50年。
変わったのは時代であり、価値観であり、求められるスピードだ。
でも、扱っている商品はあまり変わらない。
「このままでいいのか?」
そんな問いを、ここ数年ずっと胸の中でくすぶらせていた。
けれど、自分自身が変わらずに、
会社に変化を求めるのは違う気がした。
まずは、自分の姿勢から。
姿勢を変えると、呼吸が変わる。
呼吸が変わると、思考が変わる。
思考が変われば、行動が変わる。
それは、会社にだって当てはまるはずだ。
体の奥から伸びていく感覚を、
今、組織にも重ねて見ている。昨夜、寝る前に何気なくラジオの聞き逃し配信を開いた。
耳に飛び込んできたのは、葛飾北斎の話だった。
彼は生涯で30を超える名前を持ち、改名のたびに古い名を弟子に譲ったという。
弟子はその名を掲げて活動を続け、北斎は新しい名でまた歩き始める。
さらに驚いたのは、名前だけでなく作風まで大胆に変えていたことだ。
積み上げた技術や評価を手放し、まるで新しい画家として生まれ変わるかのように次の表現へ向かう。
守るより壊すことを選び、そのたびに新しい景色を手に入れていったのだろう。
一方で、私たちはしばしば名前に縛られる。
私は三代目社長として会社を継いだ。
先代が築いた名と歴史は、盾にもなれば重荷にもなる。
会社の看板を守る責任と、同時に新しい形へ進化させる役割の狭間で、日々揺れている。
組織を継ぐというのは、単に経営の椅子に座ることではない。
過去を受け取りながら未来をつくる、大胆かつ繊細な作業だ。
硬直化した仕組みを見直し、ときには思い切って壊すことも必要になる。
変化は批判や不安を呼ぶが、それでも新しい風を入れなければ組織は次の段階に進めない。
壊す・手放すというのは勇気がいる。
けれど、それは整理収納の世界でも最も大切な鉄則だ。
不要なものを手放すからこそ、本当に大切なものが見えてくる。
北斎が何度も名を捨て、新たな自分を描いたように、組織も人も、そうしてこそ輝きを増すのだと思う。
もし今の自分や組織に停滞を感じるなら、勇気を持って解体に踏み出してみる。
その先にこそ、まだ見ぬ自分と、まだ見ぬ組織の姿が待っている。
昨日、鶴岡のパーソナルジム「famille」で、人生初となるパーソナルトレーニングが始まった。いきなり半年契約。もう逃げ道はない。半年後には「やって良かった」と胸を張れる自分に会えるだろうか、そんな一抹の不安と期待を抱えてジムの扉を開けた。
初回メニューは、いきなり重りを担いでスクワット…ではない。呼吸から始まり、姿勢、骨盤の傾き、肩の位置を確認して、じわじわと動きを重ねていく。大したことをしていないように見えるのに、終盤には脚がぷるぷる、呼吸が浅くなる。
そして終了後の感覚は、水泳1kmを泳ぎきった後のような、じんわり全身にまとわりつく疲労感。汗はじわっと、頭はぼんやり。けれどこの疲れは、嫌じゃない。どこか心地よく、体が「よくやった」と言ってくれている気がする。
トレーナーからは、「この半年は、数字だけじゃなく日常の感覚も記録してください」とアドバイスされた。眠りの深さ、肩のこり具合、夕方の足の重さ…そうした変化が積み重なっていくのが楽しみになるらしい。