私は、いわゆる“ゴミ屋の倅”だ。
父の仕事柄、子どもの頃からごみと隣り合わせで育ってきた。だからなのか、道端にごみが落ちていると、悲しい気持ちになる。それは時に怒りに変わり、「なんでこんなことをするんだ」とつぶやきながら拾っていた。
そんな習慣は大人になっても変わらない。自家用車にはいつでも拾えるようにゴミ袋を常備し、出先で見かければ迷わず手を伸ばす。だけど、長年続けていると、時々気持ちが重くなることもあった。拾えば拾うほど、「なんでこんなに捨てる人がいるんだ」と考えてしまうからだ。
そんな私に、ある先輩が教えてくれた。
「ゴミを拾うときは、“ラッキー”って言ってみな」
最初は意味がわからなかったが、先輩は続けてこう言った。
「道端のごみは、ラッキーの塊なんだよ。誰かが捨てたラッキーを、ありがたく拾わせてもらう。だから声に出して“ラッキー”」
試しにやってみたら、不思議と気持ちが軽くなった。
空き缶を拾いながら「ラッキー」、コンビニ袋を拾いながら「ラッキー」。小さくても口に出すと、怒りや悲しみよりも、ちょっとしたゲーム感覚が勝ってくる。
「なんでこんなに捨てるんだ」から「今日は何回ラッキーに出会えるかな」に変わった瞬間だった。
考えてみれば、気持ちの持ち方ひとつで同じ行動もまるで違うものになる。ごみを拾うことが、怒りや義務じゃなく、ちょっとした喜びに変わるのだから不思議だ。
今でも私は車にゴミ袋を積んでいる。
だけど、その袋を手に取るとき、昔のように眉間にしわは寄らない。
「ラッキー」
そうつぶやきながら拾ったごみ袋の中には、今日も小さな幸せが詰まっている。