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毎日ブログ

2026/09/06

今日は「独創百貨」というイベントに参加してきました。

そこでお会いしたのが、長南光さん。

光さんは鶴岡市の櫛引地区で、30年以上前から農家民宿を営んでいます。そこには日本国内だけでなく、海外からも人が訪れるのだそうです。

なぜ、遠く海外からわざわざ櫛引まで人がやって来るのか。

今日、光さんのお話を聞き、その暮らしや作品に触れていると、なんとなくその理由が分かるような気がしました。

その光さんが取り組んできたものの一つが、**「綴れ織」**です。

私は綴れ織というものを、これまでほとんど知りませんでした。

そしてまず驚いたのが、その途方もない手間です。

8時間織り続けて、進むのはわずか1センチ。

一本一本、糸を通しながら、少しずつ絵を描くように織っていく。

実際に作品を見せていただくと、表側は本当に美しい。

ところが、裏返してみると全く違います。

たくさんの糸が複雑に絡み合い、表から見れば必要のなくなった糸も残っている。

今日のお話で私が一番心に残ったのが、この「表と裏」の話でした。

鶴岡出身の綴れ織工芸家に、遠藤虚籟という方がいます。

虚籟は、綴れ織の美しい表側を支えながら、最後には不要となる裏側の糸に、戦争で亡くなった人たちを重ね、その糸を供養していたのだそうです。

表に現れる、美しいもの。

その一方で、それを支えながら、表からは見えなくなっていくもの。

さらに、

表は、今を生きている私たち。

裏は、脈々と命をつないできたご先祖。

そんなふうにも捉えるのだと聞きました。

なんとも深い話です。

私たちは普段、どうしても「見えているもの」で物事を判断してしまいます。

今ここにいる人。

今ある家族。

今ある仕事。

そして、今の自分。

でも、その裏側には必ず、ここに至るまでの膨大な時間があります。

たくさんの人がいて、出会いがあって、別れがあって、うまくいったことだけではなく、失敗や悲しみもあった。

そして、名前すら知らないご先祖たちが命をつないできたから、今の自分がいる。

それはまるで、綴れ織の裏側にある無数の糸のようです。

8時間で、わずか1センチ。

その1センチを見て、「きれいだな」と思うだけでもいい。

でも、その1センチの向こうにある8時間を想像する。

裏側にあるたくさんの糸を想像する。

さらには、その糸に込められた人の思いや、そこまで脈々とつながってきた時間にまで想像を巡らせる。

そこに思いを馳せられる人こそが、綴れ織の本当の価値を知っている人なのだと感じました。

そして、これは綴れ織だけの話ではないのでしょう。

人を見るときだって同じです。

目の前に見えている姿だけが、その人のすべてではない。

その人の後ろには、私には見えない時間があり、見えない人たちがいて、たくさんの糸がつながっている。

見えているものは、見えていないものに支えられている。

30年以上、櫛引で暮らし、国内だけでなく海外から訪れる人たちを迎えてきた光さん。

その光さんが織った作品を眺めながら、今日は美しい「表」以上に、その向こう側にある「見えないもの」について考えさせられました。

綴れ織を知ったというより、

綴れ織を通して、ものを見る目を一つ教えてもらった。

2026/09/04
4/100 備えるという仕事   

全国的に大雨になる恐れがある。

 

そんな報道を受けて、会社の廃棄物処理工場では、浸水に備えて土嚢を設置していました。

 

写真は、その時の様子です。

 

結果から言えば、幸いなことに心配していたほどの雨は降りませんでした。

 

せっかく並べた土嚢も、結果だけを見れば「無駄足」だったのかもしれません。

 

でも、私はこの光景を見て、なんだか嬉しくなりました。

 

というのも、この土嚢の設置を、私が社長として指示したわけではなかったからです。

 

天気予報を見て、現場の人たちが自分たちで考え、

 

「念のため、やっておこう」

 

と動いてくれた。

 

これは、とても大切なことだと思います。

 

何かが起きてから、「どうしましょう」と指示を待つのではなく、起こるかもしれないことを想像して、自分たちで備える。

 

そして、結果的に何も起こらなければ、それでいい。

 

土嚢を並べた時間が無駄だったのではなく、何も起きなかったからこそ、それが一番だったのだと思います。

 

私たちの仕事も同じです。

 

事故が起きないように。

トラブルにならないように。

お客様を困らせないように。

 

日々の仕事の中には、「何も起きないためにする仕事」がたくさんあります。

 

そして、そういう仕事は、何も起きなければ目立ちません。

 

それでも誰かに言われる前に気づき、考え、動く。

 

そんな人たちが現場にいることを、社長として頼もしく感じた一日でした。

 

備えるとは、何かが起きることを当てることではなく、何かが起きても困らないように動いておくこと。

 

土嚢が活躍しなかったことを喜びながら、そんな会社であり続けたいと思います。

2026/09/02
2/1000 新いスタート  

今日から、ブログ100日実践を始めます。

毎日ブログを書くことは、これまでも続けてきました。

 

それでも改めて「100日」と決めて取り組んでみようと思います。

環境管理センターブログと1日おきに更新して行きます。


そんな中届いた一枚のエッセイ
タイトルは「一歩を踏み出す」

でした。

 

そこには、伊能忠敬の話が紹介されています。

 

50歳で家督を譲り、江戸に出て天文学を学び始める。

そして55歳で蝦夷地の測量へ。

 

そこから17年にわたり、全国を歩き続けたそうです。

 

一歩の幅を一定に保ちながら距離を測り、夜には星を観測する。

 

そんな気の遠くなるような地道な積み重ねが、後の日本地図につながっていきました。

 

ここには


大切なのは、いつ始めるかではなく、始めてから何を粘り強く続けられるか

 

とあります。

 

これは、100日実践にもそのまま重なるような気がします。

 

「100日続ける」と考えると、少し大変そうに感じます。

 

でも、100日という日はありません。

 

あるのは、今日一日だけです。

 

今日書く。

明日になったら、またその日の一歩を踏み出す。

 

その繰り返しが、気がつけば100日になる。

 

考えてみれば、伊能忠敬が歩いた約4万キロも、最初はたった一歩だったのでしょう。

 

ブログも同じです。

 

一回一回は小さな一歩。

 

大したことを書けない日もあるでしょう。

忙しくて、書くことがなかなか見つからない日もあると思います。

 

それでも書く。

 

その一歩一歩の先に、今はまだ見えていないものがあるのかもしれません。

 

「一歩踏み出した先に 新しい景色が広がる」

 

100日後に何が見えるのか。

 

それを今から決める必要もないのでしょう。

 

まずは今日の一歩。

 

100日後の景色を楽しみに、今日から始めます。


2026/08/28
仕事には波がある  

同じような仕事というのは、不思議と続いたりする。

 

毎日いろいろなご依頼をいただく仕事をしていると、「どうして今日はこればかりなんだろう」と思う日がある。

 

たとえば、お客様のごみのお持ち込み。

 

一日を通して均等にいらっしゃるわけではなく、集中するときは本当に集中する。時間帯でいうと、午前10時付近が多い。

 

さっき一台帰ったと思ったら、また一台。その後ろからもう一台。

受入場所が急ににぎやかになる。

 

電話も同じだ。

 

特に月曜日の午前9時。

週の始まりということもあるのだろう。営業開始と同時に電話が鳴り始め、一本終わったと思ったら、また次の電話。なぜかみんな同じ時間に思い出したかのように集中する。

 

そして、もっと大きな「波」がある仕事もある。

 

特殊清掃だ。

 

孤独死などがあったお部屋の清掃や消臭、家財の撤去などを行う仕事だが、この仕事は一年の中でも8月、9月にご依頼が集中する傾向がある。

 

暑い時期だからこそ、発見までの時間や室内の状況によって、早急な対応が必要になることも多い。

 

もちろん、ご依頼される方にとっては「たまたま」起きた一件である。

 

けれど、長く仕事をしている私たちから見ると、それが不思議なくらい重なることがある。

 

ごみのお持ち込みは午前10時。

電話は月曜日の午前9時。

特殊清掃は8月、9月。

 

仕事というのは、平均してやってくるものではない。

波のように、来るときには一気に来る。

 

だから私は、いつでもその波に対応できるように、仕事に追われるのではなく、常に仕事を追いかけることを意識している。

 

今日やれることは今日のうちにやっておく。

少し先の仕事まで見て、できる準備は先にしておく。

 

「まだ大丈夫」と仕事を溜めていると、そこへ突然大きな波がやってくる。

そうなると、仕事を選ぶのではなく、仕事に動かされるようになってしまう。

 

仕事を追いかけているうちは、次に何をするかを自分で決められる。

仕事に追われ始めると、次に何をするかを仕事に決められてしまう。

 

この違いは結構大きい。

 

忙しくないときこそ、次の仕事を追いかける。

 

長くこの仕事をしていると、仕事のやり方だけではなく、そんな「波との付き合い方」も少しずつ身についてきたように思う。

2026/08/23
古いアルバムを開く  

来月、妻の両親の結婚55周年「エメラルド婚式」と、私の両親の結婚50周年「金婚式」のお祝い会を開催する。

今、その準備を少しずつ進めている。

せっかくなので、これまでの歩みを写真で振り返れたらと思い、両家に「古いアルバムを貸してほしい」とお願いした。

そして先日、そのアルバムを開いてみた。

これが、なかなか面白い。

若い頃の父や母。

結婚したばかりの頃、旅行に行った時、子どもが生まれた頃。

もちろん自分が生まれる前の写真もたくさんあって、「こんな時代があったんだな」と、私の知らない父や母の姿がそこにあった。

そして両家のアルバムを並べて見ていると、不思議な感じがする。

場所は違えど、流れている時間は同じ。

服装だったり、車だったり、家の中の様子だったり、写真そのものの色合いだったり。

両家はまだ何のつながりもないのに、それぞれの場所で同じ時代を生きていた。

それぞれ別々に流れていた二つの家族の時間が、やがて私たちの結婚によって交わり、今では子どもたちもいる。

そう考えると、50年、55年という時間の長さを改めて感じる。

そして今回、何よりいいなと思ったのは、古いアルバムを開くという機会そのものだった。

普段、わざわざ昔のアルバムを引っ張り出して見ることなんて、そうそうない。

でも「お祝い会をしよう」ということでアルバムを開く。

そこには忘れていた出来事や、もう会えない人、懐かしい場所、若かった自分たちがいる。

写真を見ながら、またいろいろな話が始まるのだと思う。

お祝い会は来月。

でも考えてみれば、こうして古いアルバムを開いたところから、もうお祝いは始まっているのかもしれない。

古いアルバムって、いいものですね。