6/1000 8時間で1cm
今日は「独創百貨」というイベントに参加してきました。
そこでお会いしたのが、長南光さん。
光さんは鶴岡市の櫛引地区で、30年以上前から農家民宿を営んでいます。そこには日本国内だけでなく、海外からも人が訪れるのだそうです。
なぜ、遠く海外からわざわざ櫛引まで人がやって来るのか。
今日、光さんのお話を聞き、その暮らしや作品に触れていると、なんとなくその理由が分かるような気がしました。
その光さんが取り組んできたものの一つが、**「綴れ織」**です。
私は綴れ織というものを、これまでほとんど知りませんでした。
そしてまず驚いたのが、その途方もない手間です。
8時間織り続けて、進むのはわずか1センチ。
一本一本、糸を通しながら、少しずつ絵を描くように織っていく。
実際に作品を見せていただくと、表側は本当に美しい。
ところが、裏返してみると全く違います。
たくさんの糸が複雑に絡み合い、表から見れば必要のなくなった糸も残っている。
今日のお話で私が一番心に残ったのが、この「表と裏」の話でした。
鶴岡出身の綴れ織工芸家に、遠藤虚籟という方がいます。
虚籟は、綴れ織の美しい表側を支えながら、最後には不要となる裏側の糸に、戦争で亡くなった人たちを重ね、その糸を供養していたのだそうです。
表に現れる、美しいもの。
その一方で、それを支えながら、表からは見えなくなっていくもの。
さらに、
表は、今を生きている私たち。
裏は、脈々と命をつないできたご先祖。
そんなふうにも捉えるのだと聞きました。
なんとも深い話です。
私たちは普段、どうしても「見えているもの」で物事を判断してしまいます。
今ここにいる人。
今ある家族。
今ある仕事。
そして、今の自分。
でも、その裏側には必ず、ここに至るまでの膨大な時間があります。
たくさんの人がいて、出会いがあって、別れがあって、うまくいったことだけではなく、失敗や悲しみもあった。
そして、名前すら知らないご先祖たちが命をつないできたから、今の自分がいる。
それはまるで、綴れ織の裏側にある無数の糸のようです。
8時間で、わずか1センチ。
その1センチを見て、「きれいだな」と思うだけでもいい。
でも、その1センチの向こうにある8時間を想像する。
裏側にあるたくさんの糸を想像する。
さらには、その糸に込められた人の思いや、そこまで脈々とつながってきた時間にまで想像を巡らせる。
そこに思いを馳せられる人こそが、綴れ織の本当の価値を知っている人なのだと感じました。
そして、これは綴れ織だけの話ではないのでしょう。
人を見るときだって同じです。
目の前に見えている姿だけが、その人のすべてではない。
その人の後ろには、私には見えない時間があり、見えない人たちがいて、たくさんの糸がつながっている。
見えているものは、見えていないものに支えられている。
30年以上、櫛引で暮らし、国内だけでなく海外から訪れる人たちを迎えてきた光さん。
その光さんが織った作品を眺めながら、今日は美しい「表」以上に、その向こう側にある「見えないもの」について考えさせられました。
綴れ織を知ったというより、
綴れ織を通して、ものを見る目を一つ教えてもらった。

