今日は妻の誕生日ということで、小林家のLINEが朝からにぎやかだ。
子どもたちからのメッセージが次々と届き、花まで贈られてくる。その人気ぶりには、思わず感心してしまう。
これが私の誕生日となると、こうはいかない。
プレゼントもあったりなかったり。LINEも静かなものだ。まあ、それはそれでいいのだけれど。
でも当の本人に言わせると、誕生日はあまり来てほしくないものらしい。
年齢のこともあるのだろうし、気恥ずかしさもあるのだろう。
それでもこうして家族から声が届き、花が届く様子を見ていると、誕生日というのはやはり悪くない日なのだと思う。
日々の暮らしの中で、子どもたちに寄り添い、声をかけ、気にかけ続けているのは妻の方だ。そうやって積み重ねてきた時間が、こういう日にちゃんと形になるのだろう。
誕生日のにぎわいは、その人が歩いてきた証のようなものだ。
会社の帰りに、何か甘いものでも買って帰ろうかなと思っている。
花ほど立派ではないけれど、今日という日に「おめでとう」を添えるにはちょうどいい気がする。
それにしても、妻の人気にはやっぱりかなわないなと思う一日だった。
最近、私の仕事の中で欠かせない作業のひとつに、産業廃棄物のマニフェスト発行がある。
マニフェストとは、産業廃棄物がどこから出て、誰が運び、どのように処理されたのかを最後まで追跡するための書類だ。
いわば「ごみの履歴書」のようなものだと思っている。
廃棄物は出したら終わりではない。
きちんと処理されたことを確認して初めて、責任が完結する。
そんな大切な役割を担う仕組みとして、最近では電子マニフェストも普及してきている。けれど現場では、まだまだ紙マニフェストが圧倒的に多いのが実情だ。
そしてその紙マニフェストを印字するのが、ドットプリンターである。
これが、とにかくうるさい。
ガガガガガガ……と鳴り続け、隣の人との会話が聞こえなくなるほどの音を立てる。静かな事務所なら、なおさら存在感は大きい。
正直に言えば、「もう少し静かにならないものか」と思うこともある。
けれど、このプリンターが止まると仕事も止まる。
マニフェストが出なければ、運搬もできない。
処分も進まない。
つまり現場が動かなくなる。
そう考えると、あの大きな音は、仕事が動いている音でもあるのだと気づく。
仕事に携わって初めて分かる、道具のありがたさというものがある。
普段は気にも留めない一台のプリンターが、実は社会のルールを支え、地域の安心を支えている。
今日もまた、事務所のどこかであの音が鳴っている。
少しうるさいけれど、頼もしい音だなと思う。
土曜休みになってからというもの、月曜日は電話の嵐、持ち込みの嵐が吹き荒れる。
それで電話対応は私の仕事でもあるのだけれど、最近多いなあと感じる問い合わせがある。人形の供養についてだ。
ホームページをご覧になって連絡をくださる方が多い。当社では、みかん箱程度の量であれば3,000円(税別)+kgあたり110円で合同供養を行っている。持ち込まれるものは人形に限らず、遺影であったり、お札であったりとさまざまだ。
今日のお電話は、クレーンゲームで集めたお人形についてだった。たくさんあって、しかも埃をかぶっている。それでも、そのまま捨てるのは忍びない。供養してから手放したい、というご相談だった。
お気持ちはとてもよく分かる。
そこで私はこう提案した。
ゴミ袋に清めの塩を少し入れて、「ありがとう」という気持ちを添えて、鶴岡市のステーションごみに出してみてはどうでしょうか、と。
供養というのは、必ずしも特別な場所で行うものばかりではない。気持ちを込めること自体が供養になることもある。
電話の向こうのお客様は、ほっとしたように納得されていた様子だった。
物を手放すというのは、単なる処分ではないのだと思う。そこに込めた時間や思い出に区切りをつける、小さな儀式のようなものなのだろう。
私は月に一度、床屋に行く。
だから帰り際に「来月もお願いします」と言って、その場で次の予約を入れて帰るのがいつもの流れだった。ところがそれだと、意外と自分のいい日が取れないことが多かった。
すでに予約が埋まっていたり、少し無理をした時間になったりする。
そんなある日、店主から「二か月先まで入れてみたらどうですか」と提案された。
なるほどと思って、その通りにしてみた。
すると驚くほどすんなり、自分の予定にぴったりの時間が取れた。ほんの少し先まで見通しておくだけで、こんなにも違うのかと感心した。
なんでもないことのようだけれど、これはなかなかいい作戦である。
予定というのは、追いかけるより並べておいた方が楽なのかもしれない。
床屋の予約ひとつで、そんなことを思った。
ごみの受け入れをしていると、不思議な時がある。
全く同じ冷凍庫が出てくる日があるのだ。
同じメーカーで、同じ大きさで、同じ色。
冷蔵庫ならまだ分かる。数が多いから重なることもあるだろう。
けれど冷凍庫は違う。そもそも持ち込まれる数が少ない。どちらかと言えばレアな存在だ。
そのレアな冷凍庫が、しかもレアなメーカーのものまで、同じ日に持ち込まれたり、収集に伺った先で続けて出てきたりする。
同じ頃に売られ、同じ頃に使われ、そして同じ頃に役目を終える。
家電にも“寿命の季節”のようなものがあるのかもしれない。
そんなことを考えていた時、私たちの仕事の分類が変わっていくという話を聞いた。
これまで私たちの仕事は、ざっくり言えばサービス業と括られてきた。
けれどこれからは「資源循環業」というような分類に再編されていくのだという。
なるほどと思った。
これまでは不要なものの終着点というイメージだったかもしれない。
けれどこれからは再出発地点という立場になるのだろう。
同じ冷凍庫が同じ日にやってくるのも、単なる偶然ではなく、社会の中でモノが一斉に役目を終え、次の循環へ向かっていく節目のようなものなのかもしれない。
私たちはごみを受け入れているようでいて、実は資源の流れの途中に立っている。
そう思うと、いつもの持ち込みの風景が少し違って見えてくるのだ。