今日、ラジオから久々にレイ・ハラカミの曲が流れてきた。
やっぱりいいなぁと思って聴いていると、
パーソナリティーが「この曲、実は古いデジタル楽器で作られているんです」とふと話した。
その一言で、音が急に立体的になった気がした。
完璧とはいえない昔のデジタル機材。
粗い波形や遅いレスポンス、経年の揺らぎ。
その“欠けた部分”が、逆にあたたかさをつくっているのだろう。
デジタルなのに人肌みたいな丸さがある不思議な音だ。
サブスクで音楽があふれるようになって、
曲の背景を知る機会はめっきり減った。
気に入ったら次、また次へと流れていく。
便利だけれど、奥のほうにある物語までは届かないことが多い。
そんなことを思っていたら、ふと90年代の頃を思い出した。
ケミカル・ブラザースが登場し、
打ち込みなのに妙に“生っぽい”ドラムに圧倒された時代だ。
メカニカルなはずのドラムが、なぜか人間の体温を持って聴こえる。
あれは、生ドラムのサンプルやMPCの揺れ、
アナログ卓の歪み、あえて整えないループ……
そうした“機材のクセ”そのものが音に残っていたからだ。
レイ・ハラカミの丸い電子音も、
ケミカルの荒々しいドラムも、
向き合っていたのは、生かデジタルかではなく、
もっとその先にある“揺らぎ”だったのかもしれない。
便利さがすべてを均一にしていく今、
こういう不均一な音に触れると、
なんだかホッとする。
アナログ盤でも探してみるかと考えている。
昨日は11月11日。ポッキーの日が有名ですが、実は「電池の日」でもあります。+と-の並びが電池の端子を連想させることから制定されたそうです。
廃棄物業界に身を置く私たちにとって、「電池」といえばやはりリチウムイオン電池の火災問題が頭に浮かびます。
全国的にも処理施設や収集車の火災が相次いでおり、その多くが“思いがけず混ざっていた電池”に起因しています。
リチウム電池は今や、掃除機や電動工具、電子タバコ、モバイルバッテリーなど、暮らしのあらゆる製品に使われています。
中でも厄介なのがワイヤレスイヤホン。小さくてプラごみに紛れやすい上、電池が内部に組み込まれていて取り外しができない。しかも左右のイヤホンとケース、それぞれに電池が入っている製品もあり、どこに潜んでいるのか分かりづらい。破砕機の中で圧力がかかれば、一瞬で火花が走ることもあります。まさに“見えない火種”です。
もちろん、全国的にはJBRC(一般社団法人 充電式電池リサイクル推進センター)などによる回収システムが整っています。家電量販店や自治体の回収BOXに「小型充電式電池」を入れれば、リサイクルルートに乗せることができます。
ただし、イヤホンのように電池が取り外せない構造のものは、現状その仕組みに乗せづらい。結局、排出する側の“正しい出し方”が鍵になります。
こうしてみると、モノを買うときに「使う」と「捨てる」の両方を想像しておくことが、いちばんスマートなのかもしれません。
便利さの裏には、見えないリスクと見えない努力がある。
小さな電池ひとつが、大きな火を生むこともある。
だからこそ、「混ぜればごみ、分ければ資源」。
11月11日、電池の日。今日もまた、そんな当たり前を思い出させてくれました。
今日は寒いですね。
鶴岡市内ではあられがぱらぱらと降って、フロントガラスを転がっていきました。
そろそろ冬タイヤに交換しないとな、と思いながら、季節がまた一段、背中を押してくるのを感じます。
来週は札幌へ出張の予定。
天気予報を見てみると、最高気温がまさかの1度。
数字だけで冬がぐっと近づいてきました。
でも同時に、真夏に買っておいたコートをようやく下ろせると思うと、少し嬉しい。
服には「待つ楽しみ」がありますね。
季節とともに装いが巡る感覚が、なんだか好きです。
さて、そんな中、最近こだわっているのがネクタイです。
ここ数年、冬のインナーはニットが主役。だからこそ、スーツスタイルのタイドアップにはこだわりたい。
これまでは、ネクタイといえば“ネイビー一択”。
濃淡違いのネイビーを、静かに回し続けていました。
それが今年は、水玉、小紋、レジメンタルと、柄に手が伸びました。
ほんの少しの冒険です。
最近は、スカーフのような柔らかい風合いのネクタイもあって、結んだときにふわりと空気を含みます。
小剣を少し長めにする結び方が今の気分で、作り込みすぎない、その余白がなんとも大人っぽい。
ワイドシルエットの流れに合わせて、ネクタイも長めで、気持ち太め。
整えすぎず、どこか自然体。
いいネクタイと新しい季節
その変化を、首元でそっと確かめています。
石川県金沢市・朝霧台にある 学校法人SAIBI学園 で開催された
「ゾーニングから始める保育現場の整理整頓」見学会に参加した。
園内を歩きながら感じたのは、
環境整備とは単なる片づけではなく、
子どもと職員の命を守るための営みだということだ。
教室の棚やロッカーには、
先生たちが積み重ねてきた歴史と、
毎日、子どもたちと向き合ってきた時間が宿っている。
モノを動かすことは簡単でも、
その思いや文化を動かすことは、決して簡単ではない。
けれど、能登半島地震は問いかけた。
「その配置で、全ての命は守れるのか」と。
可愛さの前に、安全。
思い出の前に、命。
その優先順位を明確にし、実際の環境へと落とし込んできた園の歩みは、
決意の積み重ねそのものだった。
そして気づいた。
人を動かすことには、人が成長することが必要なのだ。
自分の幼さ、こだわり、わがままと向き合いながら、
はじめてチームは動き始める。
そこに、整理収納の本質がある。
「早く行きたいのなら一人で行け。
遠くまで行きたいのならみんなで行け。」
一人ひとりの心に、ブレずに火を灯し続けてきた結果、
この園には“仲間としての強さ”があった。
それが、何より心に残った。
私の実践の日々も続いてゆく。
今月は、「お客さんに会いに行く月間」。
普段は電話やメールで済んでしまうご挨拶も、実際に足を運んでみると、やっぱり感じるものが違います。
目標は1日15件。もちろんアポなしで。
突然の訪問にもかかわらず、皆さん、手を止めて「おう、いらっしゃい」と迎えてくださる。ありがたいことです。
そして今日も、犬。
事務所でワンちゃんと一緒に仕事をしている会社さん、意外と多いんですよね。
シーズー、シュナウザー、チワワ。
犬好きの私にとっては、もう天国です。
最初は警戒されて「ワン!」と威嚇されるのですが、撫でてあげると、すぐに「まぁこの人なら…」という顔になってくれる。
その瞬間、心がふわっと溶けます。
特にシュナウザーくんは大歓迎モードで、帰り際には私の車に飛び乗ってくる勢い。
「じゃあ一緒に行くか?」と言いそうになるのを、ぐっと踏みとどまりました。
そして、こうして回っていると、色々と困りごとも聞こえてきます。
「最近こういうゴミが増えてさ」「置き場が狭くなってきてね」
ちょっとした愚痴や、まだ言葉になっていない不安もあれば、次につながる話のタネもある。
なんだか自分が「三河屋のサブちゃん」みたいだな、と思うのです。
ただの集金や業務連絡じゃなくて、
「ちょっと寄ったよ、どう?変わりない?」
そんな距離感。
仕事って、書類や契約書の中だけで完結するものじゃなくて、
こういう“間”で育つものなんだな、と改めて感じました。
今日も良い日でした。
明日もまた15件、会いに行ってきます。
次はどんなワンちゃんと出会えるやら。