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毎日ブログ

2026/01/20
794/1000 吹雪の中「あじまん」で一つになる   

当社一大プロジェクト工事2日目、

関東と名古屋から来てくださった職人さんたちを迎えたのは、吹雪だった。

庄内式の手荒い歓迎である。

「それほど酷くならなくてよかったです」

そう言うと、職人さんが少し真顔で聞き返した。

「……これより酷い時、あるんですか?」

庄内の冬は「よくこんな所に住んでるね」とまで言わしめる凄まじさがある。


現場が少し落ち着いたところで、一服。

ストーブに寸胴をかけ、湯を沸かす。

そこに缶コーヒーを沈める。

横でクーラーボックスを開けると、湯気の立つ「あじまん」。

山形のソウルフード、大判焼きだ。

出来たてを買ってきて、冷めないように詰めてきた。

蓋を開けた瞬間、白い湯気と甘い匂いが立ち上る。

「おお……」

あちこちから小さなどよめきが起きる。

椅子はないので、ビールケースを並べて即席の腰掛け。

ストーブを囲んで、車座になる。

電気屋さん、機械屋さん、クレーン屋さん。

分野の違うプロフェッショナルが十数人。

手にしているのは、あじまんと、寸胴で温めた缶コーヒー。

誰かが言った。

「なんか、田舎の集会場みたいですね」

たしかにそうだと思った。

吹雪の外。

鉄の音の現場。

その真ん中に、ストーブと湯気と甘い匂い。

缶コーヒーは、ただの缶コーヒーじゃなかった。

寸胴で温めたそれは、指先から体の芯まで、まっすぐ効いてくる。

「あー……生き返る」

その一言で、今日ここに集まった理由の半分くらいは、もう十分だった気がする。


吹雪に当たり、あじまんをかじり、同じストーブを囲む。

工事二日目。

一体感がすごい。

2026/01/18
792/1000 それだけでいい日曜日  

冬の庄内は大抵、雨か雪か曇りの予報だ。

晴れマークを見ることは、ほとんどない。


「この時期、庄内の人はみんな鬱になる」

なんてブラックジョークが、わりと本気混じりで飛び交う。

それくらい、空は低く、陽は出ない。


最近、鬱っぽさとビタミンD不足には関係があるらしいと知った。

日光を浴びないと、身体の中でつくられるはずのものが、つくられない。

気分の問題だと思っていたものが、実は光の問題だったりもする。


だから今日は、晴れの日曜日。

寒鱈祭りが開かれていて、町はきっと賑わっている。

けれど我々は、人混みを避けて祭りには行かず、珈琲屋に入った。

窓際の席で、ただ陽を浴びていた。


ガラス越しの冬の光は弱い。

それでも、ちゃんと届く。

今日は、意識的に光をとりにいく日だと思った。


そのあと、生活が始まった。

妻の買い物の助手。

日用品の大量買い出し。

玄米三十キロを精米。

そして洗車が二台。


書き並べると、実に地味だ。

けれどこの土地では、こういう用事こそが「晴れの日の仕事」になる。


極め付けは、人生で初めて宝くじを買ったことだ。

妻が急に「買おう」と言った。

妻も初めてだという。

なんで、と聞くと、

「今日は当たりそうだから」

と、根拠のないことを、やけに静かに言った。


何に使うか、という話はしなかった。

家に帰ると、妻はその宝くじを神棚に上げた。

宝くじを買った、という楽しみを、存分に味わっているのだろう。

きっと、

陽の昇らない庄内の冬を楽しむための、

小さな仕掛けなのだと思う。


なんでもない日曜日

晴れて、動いて、珈琲を飲んで、宝くじを買った。

冬の庄内では、それだけで、いい一日になる。


2026/01/16
790/1000 置かれた場所で咲く生き方   

NHKラジオで「たそがれ清兵衛」の朗読を聴いている。

藤沢周平という、ここ庄内が生んだ作家の物語であり、

この庄内が映画の舞台にもなった作品だ。

原作に触れるのは初めてだったが、聴き進めると

清兵衛の顔が、思っていたのと違っていた。

冴えない三十がらみの男で、

私の頭に浮かんだのは、映画で主演を務めた真田広之ではなく、サザエさんのアナゴさんだった。


あの映画で私が感動したのは、

清兵衛の「本当に大切なモノを、大切にする生き方」に自分の生き方を問われた気がしたからだ。

清兵衛は、評価を取りに行かない。

出世も、体面も、武士らしさすら、後回しにする。


彼が大切にしていたのは、

地位でも、剣でもなく、

「一番近くにいる人たち」だった。


「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がある。

この作品に出会ってから、

「咲く」という言葉の意味が、少し変わった。

咲くとは、

目立つことでも、

評価されることでも、

上に行くことでもない。

咲くとは、

置かれた場所から逃げずに、

そこで大切にすると決めたものを、

ちゃんと大切にし続けることだ。


朗読では、刺客としてやっと清兵衛が登場した所だ、

原作の清兵衛がどのように描かれているのか、
アナゴさんが真田広之に変わって浮かび上がるのか、注目したい。

2026/01/14
788/1000 語り合うように書く   

習字を習いはじめて一年半。

やっとのことで、初段に合格した。

初段になると、小学生に教えることができるらしい。

そう聞くと立派に思えるけれど、私の実感は少し違っていた。

スタートというより、「入口に立った」という感覚だった。

やればやるほど、難しくなる。

書道とは、そういうものだった。

始めた頃は、うまく書けないことしか見えていなかった。

形が取れない。止まらない。流れない。

それが最近は、悪いところも、良いところも、少しずつ見えるようになってきた。

線の入り。

止めの甘さ。

重心のズレ。

呼吸の乱れ。

そして同時に、

「あ、今の一本は悪くない」

そう思える瞬間も、ごくたまに現れるようになっていた。

その裏には、いつも先生の言葉があった。

「そこ、急がない」

「いまの線、力が前に出すぎ」

筆を持つと、頭の中で先生の声がループする。

できない自分に何度も向き合いながら、

それでも毎回、線の置き方を示してくれた。

直すべきところも、良くなったところも、きちんと言葉にしてくれた。

根気よく指導してくれた先生には、感謝しかない。

書道には、はっきりしたルールがあった。

手本どおりに書くこと。

自分の解釈はいらない。

徹底的に真似る。

考えなくていい。表現しなくていい。

ただ目の前の一字と向き合う。

無心になれる時間だった。

けれど、漢字は不思議な存在でもあった。

音があり、意味があり、浮かぶ情景がある。

しかも一字で完結せず、隣の字と支え合って世界をつくる。

私はいつからか、良い字はパズルのピースに似ていると思うようになっていた。

凸があるから凹が活きる。

強い線があるから、弱い線が映える。

動きがあるから、静けさが立ち上がる。


ときどき思う。

手本の文字を書いた人と、語り合ってみたいと。

この一字に、どんな気持ちを込めたのか。


もしかしたら、作者と語りながら書くというのが書道なのかもしれない。

2026/01/12
786/1000 入るを量りて、出ずるを制す   

パーソナルトレーニング6ヶ月コースが、いよいよ最終月に入った。

体重は約3kg減。

ウエストは4cm減。

数字だけを見れば、劇的な変化ではないかもしれない。

でも私にとっては、十分に現実的で、十分に嬉しい変化だ。

スーツのウエストが少し楽で、

階段を上ったときの息が少し軽い。

この「少し」が、日常の中では案外大きい。

この6ヶ月で手に入れた一番の成果は、

実は体重でも、筋肉でもない。

何を食べてはいけないかを知った。

何を食べると調子がいいか。

何を食べると眠くなるか。

何を食べると、翌朝むくむか。

何を食べると、体が重くなるか。

正解のメニューを覚えたというより、

「自分に合わないもの」が、体で分かるようになった。

これはたぶん、一生使える感覚だ。

正直、このコースが終わったらどうなるんだろう、という不安はある。

トレーナーがいなくなり、

予約がなくなり、

「行かなきゃ」が消えたとき。

人は簡単に元に戻る。

それを私は、仕事でも、暮らしでも、何度も見てきた。

そんなことを考えていたとき、ふと思い出した言葉がある。

「入るを量りて、出ずるを制す」

細井平洲の言葉だ。

最初に、場を量る。

状況を量る。

自分の立ち位置を量る。

そのうえで、

どこに着地するかを決める。

どう終えるかを定める。

経営でも、会でも、文章でも、

入り方が決まれば、出口は半分決まる。

この6ヶ月を振り返ってみると、

私はずっと「入るを量る」時間を過ごしていたのかもしれない。

自分の体は、何に反応するのか。

何を入れると、どうなるのか。

どんな生活リズムなら、続くのか。

無理をしたかと言えば、していない。

気合で乗り切ったかと言えば、たぶん違う。

ただ、淡々と量っていた。

どうやら私は、

一気に変わるのは得意ではないけれど、

コツコツ続けることは、案外できるらしい。

派手な目標は立てない。

気合も長くは続かない。

その代わり、決めたことを、静かにやる。

振り返ると、

続いているものがあり、

そばに残っているものがあり、

体もまた、静かに変わっていた。

正直、筋肉をこのまま維持するのは難しいと思う。

多少は落ちるし、サボる日も出てくる。

でも、

全部失う感じはしていない。

なぜなら私はもう、

戻り方を知っていて、

太り方も知ってしまっていて、

そして何より、

何を食べてはいけないかを知っているからだ。

パーソナルトレーニングが終わるというより、

管理される期間が終わって、

自分で選ぶ期間に入る。

6ヶ月かけて「入り」を量った。

これからは、自分で「出口」をつくっていく。

どんな生き方をしたいのか。

そして、それを支える身体はどうありたいのか。

その「出口」から逆算して、いまの入りを量る。

これは、身体の経営学なのかもしれない。

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