月末になると事務所は少し慌ただしくなる。
請求書の発送準備だ。
金額を確認し、封入し、宛名を確認する。一見すると地味な作業だが、会社にとってはとても大切な仕事である。
請求書は単なる紙切れではない。
そこには「確かに仕事をしました」「確かに受け取りました」という、お客様との信頼と信用の積み重ねが記されている。一枚一枚が信頼と信用の交換ツールなのだ。
月末の事務所では、プリンターが動き、封筒が積み上がり、スタッフが手分けして作業を進める。
当たり前の光景だが、よく考えてみると不思議なものだ。
電子帳簿や電子請求書が当たり前になりつつある今、この作業も10年後には無くなっているかもしれない。
紙に印字し、封筒に入れ、切手を貼り、ポストへ向かう。
長い間続いてきたこの仕事も、気がつけば時代の変化とともに姿を消していくのだろう。
夕方、発送を終えた請求書を抱えてポストへ向かった。
かつてあった作業という記憶の1ページに留めるように、そっと投函した。
毎年この時期になると、飛島へビーチクリーンに出かけていた。
山形県唯一の離島、飛島。青すぎるほど青い海と、初夏にはオレンジ色のトビシマカンゾウが咲く美しい島だ。
その一方で、冬の日本海を渡ってきた海ごみが浜辺には打ち上げられている。私たちは2時間ほどかけて、そのごみを拾う。
汗をかくし、決して楽な作業ではない。
けれど、不思議と嫌な記憶として残っていない。
なぜだろうと考えてみると、私が好きだったのは作業の後の時間なのかもしれない。
港まで戻り、みんなで弁当を食べる。
そしてフェリーの時間まで芝生に寝転がる。
見上げれば、どこまでも高い空が広がっている。
カモメもずいぶん高いところを飛んでいる。
島を渡る風は心地よく、潮の匂いがゆっくり流れていく。
何かをしなければいけないわけでもなく、誰かに急かされるわけでもない。
ただ空を見ているだけなのに、妙に満たされた気持ちになる。
今年はフェリーの都合で中止になった。
島からのご褒美だったあの時間が今年は無いのが残念だ。
今日は当社の株主総会だった。
昔からのジンクスというか、うちの株主総会は不思議と雨に当たったことがない。だから何だと言われればそれまでなのだけれど、毎年この日が近づくと空模様が少し気になる。
迎えた第49期の株主総会。
今年も見事な晴れだった。それも、こんなに天気が良い日はそうそうないと思えるほどの青空だった。
総会を終えて外に出ると、強い日差しと心地よい風。区切りの日としては申し分のない一日だった。
そんな中で、最近感じていることがある。
世の中の様子がまた少し変わってきている。
ニュースを見てそう思うこともあるが、私の場合はやはり現場の肌感覚だ。
お客様からの問い合わせの内容が変わる。仕入れや資材の話題が増える。これまで当たり前に手に入っていたものが入りづらくなる。業者同士で「そっちは大丈夫か」と情報交換が始まる。
数字になる前に、現場には小さな変化が現れる。
海の色が変わる前に潮の流れが変わるように、世の中もまず空気が変わる。
それが良い方向なのか悪い方向なのかはまだ分からない。ただ、何かが動き始めている感覚だけは確かにある。
だからこそ、こういう時代は足元が大切なのだと思う。
派手な予測よりも、目の前のお客様に向き合うこと。社員と話をすること。地域の声を聞くこと。
結局のところ、未来は現場の延長線上にしかない。
最近ずっと不眠に悩まされていた。
医師から処方された薬を飲む日々が続き、どうしても薬が手放せなくなっていた。飲めば眠れる。けれど、次の日がきつい。頭がぼんやりして、体も重い。眠ったはずなのに、どこか自分ではないような感覚が残る。
そこで思い切って、薬を飲むのをやめてみた。
もちろん最初はかなりきつかった。夜が長い。時計を見るたびに焦る。「また眠れないのか」と考え始めると、余計に眠れない。
けれど数日経ち、体から薬が抜けていく頃から、少しずつ変化が出てきた。
自然に眠気が来るようになったのだ。
そんな中、妻が心配して、私の母に相談してくれていたらしい。すると母が、「抱き枕がいいんじゃないか」と言ったそうで、後日、母が私のために手作りの抱き枕を作ってくれた。
なんとも不思議な気持ちだった。
いい歳をした息子のために、母が抱き枕を縫っている姿を想像すると、少し可笑しくもあり、ありがたくもある。
抱いて眠ってみると、これが意外と悪くない。
人は眠れなくなると、頭だけでなく、心までどこか緊張しているのかもしれない。
薬ではなく、誰かの気遣いに包まれて眠る夜がある。
それだけで、人は少し救われるのだと思った。
帰宅して車を降りると、ふんわりとニセアカシアの香りがした。
甘くやわらかな、初夏の匂いだ。
この時期になると、至る所で見かける。
ちなみにニセアカシアは、名前に“ニセ”とついているが、実際には北米原産の外来樹で、正式には「ハリエンジュ」という木らしい。
日本に入ってきた当時、アカシアと勘違いされたことから「ニセアカシア」と呼ばれるようになったそうだ。
この香りは強く記憶に残っている。
小学生の頃の通学路。
あの頃の記憶の中には、ニセアカシアの香りと、草や土がムワッと立ち上がる青々しい匂いが混じっている。
雨上がりだったのか、朝露だったのか。
道端の草はいつも勢いがあって、子供だった自分は、その匂いの中を毎日歩いていた。
それにしても、“ニセ”という名前はやはり少し気の毒である。
外来種だからしょうがないのかもしれないが、私の記憶の中ではずっと忘れられない