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毎日ブログ

2026/01/26
800/1000 三十年越しの『BIG』   

Netflixで、トム・ハンクス主演の『BIG』を、高校一年生ぶりに観た。

気づけば、三十年ぶりくらいになる。

当時は、「その頃脚光を浴びていたトム・ハンクスが出ている、昔の作品にBIGっていうのがあるらしい」という、そんな軽い情報だけで観た記憶がある。

とても印象に残る映画ではあったが、感動したという記憶はない。

この作品は、13歳の少年が、ある出来事をきっかけに、半年間だけ30歳の身体になってしまうファンタジーだ。

高校生だった私はもちろん子どもで、大人の世界への憧れや不安、そういった青さのただ中にいた。だからきっと私は、トム・ハンクス目線でこの映画を観ていたのだと思う。

それが三十年経って観ると、まず感じたのは、トム・ハンクスの演技の凄さだった。

まんま、13歳の少年が滲み出ている。声、動き、表情、間の取り方。そのすべてが「中身が少年」のままなのだ。

けれど今回、私がいちばん感情移入したのは、トムではなく、ヒロインだった。

トムはおもちゃ会社に就職し、そこで大人の女性と出会い、恋仲になる。

都会の大人社会で少し疲れた彼女が、トムと過ごすうちに、生きる喜びのようなものを取り戻していく。


ここから先はネタバレになる。

最後、すべての秘密が明かされ、彼女の目の前で、トムは13歳の少年に戻っていく。

恥ずかしそうに、気まずそうに、少し背中を丸めながら。

あの場面で彼女が向ける眼差しは、もう恋人を見るそれではなく、どこか母性に近いものだった。

そして別れのキスは、唇ではなく、おでこに。

切り替わる瞬間が、

この映画をコメディから“人生の話”に変えている。

今はズシンと胸を打たれるこのシーンを若い頃の私はきっと通り過ぎていた。


この映画の素晴らしさは、子供にも大人にも刺さる何かがあることだろう。
高一の息子に勧めて感想を聴きたいと思った。


2026/01/24
798/1000 求められる自分と本当の自分   

久々の二連休初日。

それなのに、朝からなんだかそわそわしている。


仕事をしていないと落ち着かない。

もう体が、そういうリズムになってしまったらしい。


午前中は、凍えるコートでテニス観戦。


午後は床屋へ。

先月来たとき、「新年はパーマでイメチェンしましょう。テーマは“大人っぽく”で」と言われていた。

気づけば髪はくるっとしていて、色も少し明るい。

鏡を見ると、自分なのに少しだけ他人みたいで、少し照れくさい。


外側は変わったけれど、中身はたぶん変わっていない。

心の自分は、たぶんずっと16歳くらいのままだ。


でも現実では、求められるのは「大人の自分」だ。

落ち着いていて、ちゃんとしていて、頼られる側の自分。


その役をやりながら、内側では相変わらずの自分が動いている。

その二つの間で、毎日をやっている。


本当の大人のかっこよさって、何だろう。

弱さを隠す青さも悪くはないんだけれど、大人の悪あがきは見苦しい。やっぱり弱さを認めて笑い飛ばす潔さ。

いざという時のプライドの捨てっぷり、これができるとかなりかっこいい。

たぶん私は、まだそこに向かっている途中だ。


だから今年は、「本当の大人」について考える一年になるのかもしれない。

求められる自分と、本当の自分。

その間で揺れながら、それでもごまかさずに立てる人。


そんな大人に、少しずつ近づいていけたらいいなと。


2026/01/22
796/1000 寡黙な職人   

きょうで、一大プロジェクトの工事が終わった。

詳細は、これから小出しにしていこうと思う。

この一年でいちばん寒い時期。

火の気のない工場での作業は、正直こたえただろうと思う。

吐く息は白く、金属は触るだけで体温を奪っていく。

指先の感覚が薄れていく中で、ボルトを締め、配線を通し、水平を取り続ける。

それはもう「仕事」という言葉では足りない、身体そのものの営みだ。


私はその昔、電気工事士として現場に出ていた。

だからなのか、今回工事に来てくれている電気屋さんのことが、どうしても気になってしまう。


盤の前に立つ姿勢。

腰袋の重さ。

工具を置く位置。

ブレーカーを落とす前の、ほんの一瞬の間。

言葉の端々に出てくる専門用語が、いちいち懐かしい。


そんな中に、ひとり、年配の職人さんの姿があった。

失礼とは思いながら、年齢を聞くと「七十六です」と静かに言う。


七十六。

正直、まったくそうは見えない。

背筋が伸びていて、動きに無駄がなく、若い職人たちと変わらない稼ぎっぷりだ。


脚立を押さえ、ケーブルをさばき、必要なときだけ口を開く。

「次は新潟の現場も頼みますね」

そう声をかけられても、彼は小さくうなずくだけ。


寡黙な職人。


その背中を見ながら、私は思った。

こういう人たちが、今の日本を支えているんだよな、と。


この人たちは、明日にはまたバラバラに、どこかの現場へ散っていく。

そう思ったとき、工事が終わった工場に、ふっと寂しさが漂った。


2026/01/20
794/1000 吹雪の中「あじまん」で一つになる   

当社一大プロジェクト工事2日目、

関東と名古屋から来てくださった職人さんたちを迎えたのは、吹雪だった。

庄内式の手荒い歓迎である。

「それほど酷くならなくてよかったです」

そう言うと、職人さんが少し真顔で聞き返した。

「……これより酷い時、あるんですか?」

庄内の冬は「よくこんな所に住んでるね」とまで言わしめる凄まじさがある。


現場が少し落ち着いたところで、一服。

ストーブに寸胴をかけ、湯を沸かす。

そこに缶コーヒーを沈める。

横でクーラーボックスを開けると、湯気の立つ「あじまん」。

山形のソウルフード、大判焼きだ。

出来たてを買ってきて、冷めないように詰めてきた。

蓋を開けた瞬間、白い湯気と甘い匂いが立ち上る。

「おお……」

あちこちから小さなどよめきが起きる。

椅子はないので、ビールケースを並べて即席の腰掛け。

ストーブを囲んで、車座になる。

電気屋さん、機械屋さん、クレーン屋さん。

分野の違うプロフェッショナルが十数人。

手にしているのは、あじまんと、寸胴で温めた缶コーヒー。

誰かが言った。

「なんか、田舎の集会場みたいですね」

たしかにそうだと思った。

吹雪の外。

鉄の音の現場。

その真ん中に、ストーブと湯気と甘い匂い。

缶コーヒーは、ただの缶コーヒーじゃなかった。

寸胴で温めたそれは、指先から体の芯まで、まっすぐ効いてくる。

「あー……生き返る」

その一言で、今日ここに集まった理由の半分くらいは、もう十分だった気がする。


吹雪に当たり、あじまんをかじり、同じストーブを囲む。

工事二日目。

一体感がすごい。

2026/01/18
792/1000 それだけでいい日曜日  

冬の庄内は大抵、雨か雪か曇りの予報だ。

晴れマークを見ることは、ほとんどない。


「この時期、庄内の人はみんな鬱になる」

なんてブラックジョークが、わりと本気混じりで飛び交う。

それくらい、空は低く、陽は出ない。


最近、鬱っぽさとビタミンD不足には関係があるらしいと知った。

日光を浴びないと、身体の中でつくられるはずのものが、つくられない。

気分の問題だと思っていたものが、実は光の問題だったりもする。


だから今日は、晴れの日曜日。

寒鱈祭りが開かれていて、町はきっと賑わっている。

けれど我々は、人混みを避けて祭りには行かず、珈琲屋に入った。

窓際の席で、ただ陽を浴びていた。


ガラス越しの冬の光は弱い。

それでも、ちゃんと届く。

今日は、意識的に光をとりにいく日だと思った。


そのあと、生活が始まった。

妻の買い物の助手。

日用品の大量買い出し。

玄米三十キロを精米。

そして洗車が二台。


書き並べると、実に地味だ。

けれどこの土地では、こういう用事こそが「晴れの日の仕事」になる。


極め付けは、人生で初めて宝くじを買ったことだ。

妻が急に「買おう」と言った。

妻も初めてだという。

なんで、と聞くと、

「今日は当たりそうだから」

と、根拠のないことを、やけに静かに言った。


何に使うか、という話はしなかった。

家に帰ると、妻はその宝くじを神棚に上げた。

宝くじを買った、という楽しみを、存分に味わっているのだろう。

きっと、

陽の昇らない庄内の冬を楽しむための、

小さな仕掛けなのだと思う。


なんでもない日曜日

晴れて、動いて、珈琲を飲んで、宝くじを買った。

冬の庄内では、それだけで、いい一日になる。

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