人生には、必ず苦難が訪れる。
自分の力で対処できることもあれば、どうにもならないこともある。
そのどちらにせよ、心が折れそうになり、逃げ出したくなる瞬間がある。
以前、10億円以上の借金を背負いながら、何度もどん底から立ち上がった経営者からこう聞いた。
「苦難と喧嘩するな。」
苦難がやってくると、怖い、逃げたいという気持ちがあふれ出す。
そしてそれを脱したいと焦り、苦難と戦ってしまうことが多い。
しかし、それではますます出口が見えなくなってしまう。
そこで大事なのは、喧嘩をしないこと・戦わないこと。
ありのままを受け止め、心を空にして、ほんの少し前に進んでみること。
その小さな一歩が、未来を変えていく。
そしてもうひとつ、大切なのは「明るさ」なのだそうだ。
ここでいう明るさとは、無理に笑ったり、陽気にはしゃぐことではない。
真っ暗闇の中、窓の向こうに浮かぶ月あかりを見ること。「明」にはそんな意味がある。
それが前を向くということ。
これこそが、明るく生きるということなのだ。最近、道端に落ちているゴミを「誰かの落とした幸運だ」と思って拾うようにしている。ペットボトルや空き缶を見つけては「ラッキー」と口に出し、ひょいと拾う。そんな遊び心を続けていたら、今日、また「ラッキー」と言いながら拾い上げたものがあった。
それは、なんとおみくじだった。
私は普段、おみくじを引かない。初詣で家族が盛り上がっていても「俺はいい」と遠慮している。くだらないと思っているわけではない。むしろ、めちゃくちゃ気にしてしまうからだ。新年早々、大吉以外が出たら嫌だ。そんなジンクスを抱えているから、そっと距離を置いている。
なのに、図らずも手にしてしまったおみくじ。雨に濡れ、しわしわになっていたその紙を、破れないようにそっと広げてみた。そこには「大吉」とあった。
一般的に大吉が出るのは20%前後の確率だそうだ。
でもそれは自分でおみくじを引いた場合の話。では──道端に落ちているおみくじが、たまたま大吉である確率は? 20%に加え、その紙が風に飛ばされ、雨に打たれ、そして私の前に落ちている確率を掛け合わせる。もうほとんど天文学的な数字になってしまう。
そんな巡り合わせで、私は大吉を拾った。
これはもう偶然ではなく、何かの必然かもしれない。
だから私は、このおみくじをお守り代わりにすることにした。財布の片隅にそっと忍ばせておく。見るたびに、道端の「ラッキー」を思い出して、また前を向ける気がするから。今、スタッフと一対一で面談を行っている。
「〇〇が悪い」「こうして欲しい」──様々な要望や意見、時には愚痴のような言葉が飛び交う。
そんな中で多いのは、他人ではなく自分を責めてしまう声だ。
「自分がもっと頑張ればよかったのに」「自分が至らなかったから」……。
実は私自身も、かつてはよくそうやって自分を責めていた。
最近は少なくなったとはいえ、ふと「ああ、また自分を叱っているな」と気づくことがある。
そんなときに効果的なのが「マジックワード」だ。
心を転換して自己を肯定する言葉。
それが「意外と自分は」という枕詞である。
「意外と自分は頑張ってきた」
「意外と自分は人に支えられてきた」
「意外と自分は続けてこられた」
そうやって言葉にしてみると、不思議と気持ちが和らいでいく。
少しだけ胸がひらけて、人に対しても優しくなれる。
完璧を目指すよりも、まずは「意外と自分は大丈夫」と認めてみる。
それだけで心は少し軽くなり、人との関わり方も自然と前向きになっていくのだ。末の娘がコロナになり、ここ数日は妻と高一の息子と私の3人だけの食卓だ。
いつものように息子は片耳にイヤホンをして、iPadでYouTubeを観ている。そんな時、私は決まってこう声をかける。
「それ観せて」
すると息子はイヤホンを外して、画面をこちらに向けてくれる。そこから会話が始まるのだ。
今夜の話題は藤井風の新曲「Prema」。インドの言葉で“無条件の愛”を意味するらしい。「やっぱり彼は天才だよな」という話で盛り上がり、一緒に音を確かめるように聴く。
そこから話題は、私がお土産に買ってきた本『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』(びーまん著)へと移る。息子がよく観ているYouTuberが書いたものらしく、「面白い」と言いながらページをめくっている。
さらに流れは学校の音楽の授業の話に。ギターで「大きなのっぽの古時計」を弾いているらしい。
「一番簡単で、しかもカッコいいやつを教えてやろうか?」と、私は軽く差し出すように話す。紹介したのはSmashing Pumpkinsの『Tonight, Tonight』。私が高校三年の時にヒットした曲だ。あの頃の自分に響いたように、今度は息子にもその音が届いた。やがて彼は、私のギターを持ってぎこちなく弾き始めた。世代を超えて音楽がつながる瞬間だった。
表向きはたわいない会話に見えるけれど、その裏には少しだけ親心がある。
本は、手に取ったら一緒に話せたらいいなくらいの気持ちで置いてある。
ギターも、弾きたいならいくらでも教えるけれど、無理に押しつけるつもりはない。
「こうなって欲しい」と形を決めてしまわないこと。
そのくらいの距離感が、今の自分にはちょうどいい。二泊三日の大阪研修を終えて帰ってきた。
出発前はいつも「めんどくせ〜」と思うのに、不思議なことに数日で都会のリズムに体が馴染んでしまう。帰る頃には「帰りたくね〜」と感じるくらいに。
台風の予報に振り回され、飛行機は飛ぶのかとやきもきしたが、傘を広げることもなく帰路につけた。
そして、窓の外に広がったのは、黄金に染まりはじめた稲穂。湿り気を帯びた大阪の空気とはまるで違う、甘くて爽やかな香りが鼻をくすぐる。胸いっぱいに吸い込むと、身体の奥まで洗われるようだった。
高い空が、クラクラするほど広がっている。
その下で風に揺れる稲穂は、まるで波のようで、見慣れた景色なのにどこか異国の風にも見える。
「いい町だ」と思った。
旅を経て気づくのは、結局ここに帰ってきたいという気持ち。めんどくさいと出かけては、最後にこうして町を褒めている自分がいる。
おばあちゃんが旅行から帰るといつも言っていた言葉を思い出す。
──「やっぱり家が一番いい」。