本日のブログは、このブログの連続更新が700日を迎えたという、ちょっとした節目のお話です。
このチャレンジを始めたのは2023年11月18日。
もともとは気まぐれに始めた日々のブログでしたが、整理収納アドバイザー仲間の三谷直子さんの「1,000日チャレンジ」に背中を押され、「よし、俺もやってみようか」と本格的に取り組むことになりました。
たまに「/1000って何ですか?」と聞かれるのですが、これは1,000回連続更新を目指しているうちの○○回目という意味です。
今日なら「700/1000」。なんだかゲームのレベルアップのようで、ちょっと気分が上がります。
ちなみに、このブログはお片づけのプロ集団アンカーズのHPに掲載しているものですが、実はもう一つ、母体である「環境管理センター」のHPにもブログがあります。
この二つを交互に更新してきた結果、二つ合わせて今日で700回を迎えました。
もしアンカーズのブログしかご存じなかった方は、ぜひこちらも覗いてみてください。
環境管理センターのブログはこちらhttps://www.kankyokanri.co.jp/contents_33.html
そして「1,000」という数字には、昔から特別な響きがあります。
たとえば、比叡山の千日回峰行のように、「千」を目指すチャレンジには一種の境地があるといわれています。
満願成就を果たした行者のインタビューを読むと、700回を超えたあたりから見える世界が変わるのだとか。
たかがブログ。されどブログ。
自分にもこれから、どんな景色が見えてくるのか。
少しワクワクしながら、また明日もキーボードに向かいます。
今日のブログは、不法投棄防止を呼びかける「秋のパトロール」が本日で終了したという話です。
このパトロールは、毎年春と秋に山形県、庄内地区の市町村、山形県警察、そして廃棄物処理業者が一緒になって行っているもの。人里離れた山林などに不法投棄がないか見回り、啓発を行っています。
今年のパトロールは、ちょっと様子が違いました。
それは「熊よけの鈴」を携帯しての巡回。ナラの実の不作が影響しているのか、今年の熊の目撃件数は昨年までとは比にならないほど。しかも不法投棄されやすい場所というのは、人の気配が少ない山林——まさに熊のテリトリーです。
最近では市街地でも出没しているとのことで、撃退スプレーが完売しているというニュースも耳にしました。みんな買うだけ買って、そのまま防災バッグの奥に眠らせるんでしょうね。けれど、いざ処分しようとすると「これ、どうやって捨てるんだっけ?」となる。スプレー缶は使い切って捨てるのがルール。でも撃退スプレーを“使い切る”なんて、現実的にちょっと怖い話です。
そして、今年もやっぱり不法投棄はあるのでした。
テレビのニュースでは流れないけれど、現場に行くと毎年同じような場所で見つかる。そこに置かれているのは、誰かの“いらなくなったもの”ではなく、誰かが“置いていった責任”です。
パトロールを終え、山の静けさの中で熊鈴の音を聞きながら、ふとそんなことを思いました。
「守る」というのは、不法投棄のないきれいな山も、そして人と熊との距離感も、両方なのかもしれません。
数日前、白鳥が飛来しました。
夜にはストーブをつけたくなるくらい涼しく、秋の深まりを感じる今日この頃です。
本日は三連休の最終日。天気にも恵まれ、空が高い。
私はというと、田んぼで談笑中の白鳥たちを横目に、消臭作業へ行ってきました。
会社としてはお休みなのですが、この三連休を利用して帰省され、実家のお片付けやそれに伴う消臭作業のご依頼が何件かありました。当社で消臭作業ができるのは私だけということで出動です。
今日の現場はペット消臭。ご夫婦は私より少し若めくらいの方だったのですが、五十路間近の私のことを何度も「お兄さん」と呼んでくださったんです。
いや〜、最近そんなふうに呼ばれることなんてまずないので、ちょっと嬉しくなってしまいました(気をつかってくれたのだとは思いますが…笑)。
そして東京では、推し活で横浜に出かけた息子と友人が、下北沢の古着屋を物色中。
それを聞きつけた息子の姉(次女)が、小林家のグループLINEに「今から下北の駅に来い」とメッセージ。
それに対して息子の返信はひとこと——「ムリ」。
どんだけ塩対応なんだと父は思うのです。照れているのか、素っ気ないのか……。
いや、ちょっとは姉の顔を立てるとかあるでしょ。
うちのお兄ちゃんにも、もう少し愛想を学んでもらいたいところです。
昨日の夜、テレビのゴールデンタイム(この言葉、今はもう死語かもしれませんが)に「終活」をテーマにしたバラエティー番組が放送されていました。
十数年前には“重く語られる”ことの多かった終活が、今や笑いを交えながら全国放送で取り上げられる。そんな時代の移り変わりに、ふと驚きを覚えました。
そして本日は、昭和8年生まれ、92歳の男性のお宅に伺い、家財整理と家事代行についてのヒアリングをしてきました。
地方では家事代行という言葉自体、まだまだ馴染みが薄いようです。男性によれば、利用しているのは一部の医師や保険業の方ぐらいで、高齢者の利用はほとんどないとのことでした。
奥様を亡くされて一年。
「これからの人生と真正面から向き合いたい」と、私に声をかけてくださいました。
実は奥様がご存命の頃にも家財整理の件でご相談いただいたことがあり、その延長線上で今回は生活環境の改善を目的とした定期訪問のご依頼です。
印象的だったのは、この男性が紹介してくださった一冊の本。
介護未満の父に起きたこと(著:ジェーン・スー)。
この本から学び、ご自身のこれからの暮らしについて
①できること
②できないこと
③危ういこと
④頼みたいこと
を丁寧に分類し、「頼みたいこと」を明確にして、私たちにご相談くださいました。
現在、当社では家事代行に関しては外部の方をご紹介する形をとっております。
今後もこうしたご相談に対し、それぞれの暮らしに合った形で伴走できるよう取り組んでいきたいと思います。
「自分の未来の暮らしを、自分の言葉で整理する」。
その姿勢に、強さと静かな覚悟を感じました。
我が家の末の娘は、保育園の頃からピアノを習っています。気が向いたときはふらりとピアノに向かい、好きな曲を弾いている姿はちょっとした日常の風景。
この時期は合唱コンクールに向けて、課題曲の伴奏を練習していることが多いのですが、今年はちょっと様子が違います。
実は今年、初めて伴奏者の予選で落選したのです。
これまでは当たり前のようにピアノ伴奏の座を勝ち取ってきた娘。負けず嫌いの性格をよく知る父としては、きっと心の奥では悔しいはずだと思っているのですが、表情はいたって冷静。
「別に〜」とだけ言って、ピアノの前に座り、弾いているのは――あの名曲、「大地讃頌」。
卒業式のクライマックスで卒業生が歌うこの曲を、今から練習しているということは……
リベンジを狙っているのか。
ピアノの先生の計らいなのか。
はたまた、ただの趣味なのか。
真意はわかりませんが、現時点でなかなかの完成度です。
娘なりの静かな闘志を、指先から感じる父なのでした。
卒業式の伴奏の席、さてどうなることやら。注目です。