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毎日ブログ

2026/08/28
仕事には波がある  

同じような仕事というのは、不思議と続いたりする。

 

毎日いろいろなご依頼をいただく仕事をしていると、「どうして今日はこればかりなんだろう」と思う日がある。

 

たとえば、お客様のごみのお持ち込み。

 

一日を通して均等にいらっしゃるわけではなく、集中するときは本当に集中する。時間帯でいうと、午前10時付近が多い。

 

さっき一台帰ったと思ったら、また一台。その後ろからもう一台。

受入場所が急ににぎやかになる。

 

電話も同じだ。

 

特に月曜日の午前9時。

週の始まりということもあるのだろう。営業開始と同時に電話が鳴り始め、一本終わったと思ったら、また次の電話。なぜかみんな同じ時間に思い出したかのように集中する。

 

そして、もっと大きな「波」がある仕事もある。

 

特殊清掃だ。

 

孤独死などがあったお部屋の清掃や消臭、家財の撤去などを行う仕事だが、この仕事は一年の中でも8月、9月にご依頼が集中する傾向がある。

 

暑い時期だからこそ、発見までの時間や室内の状況によって、早急な対応が必要になることも多い。

 

もちろん、ご依頼される方にとっては「たまたま」起きた一件である。

 

けれど、長く仕事をしている私たちから見ると、それが不思議なくらい重なることがある。

 

ごみのお持ち込みは午前10時。

電話は月曜日の午前9時。

特殊清掃は8月、9月。

 

仕事というのは、平均してやってくるものではない。

波のように、来るときには一気に来る。

 

だから私は、いつでもその波に対応できるように、仕事に追われるのではなく、常に仕事を追いかけることを意識している。

 

今日やれることは今日のうちにやっておく。

少し先の仕事まで見て、できる準備は先にしておく。

 

「まだ大丈夫」と仕事を溜めていると、そこへ突然大きな波がやってくる。

そうなると、仕事を選ぶのではなく、仕事に動かされるようになってしまう。

 

仕事を追いかけているうちは、次に何をするかを自分で決められる。

仕事に追われ始めると、次に何をするかを仕事に決められてしまう。

 

この違いは結構大きい。

 

忙しくないときこそ、次の仕事を追いかける。

 

長くこの仕事をしていると、仕事のやり方だけではなく、そんな「波との付き合い方」も少しずつ身についてきたように思う。

2026/08/23
古いアルバムを開く  

来月、妻の両親の結婚55周年「エメラルド婚式」と、私の両親の結婚50周年「金婚式」のお祝い会を開催する。

今、その準備を少しずつ進めている。

せっかくなので、これまでの歩みを写真で振り返れたらと思い、両家に「古いアルバムを貸してほしい」とお願いした。

そして先日、そのアルバムを開いてみた。

これが、なかなか面白い。

若い頃の父や母。

結婚したばかりの頃、旅行に行った時、子どもが生まれた頃。

もちろん自分が生まれる前の写真もたくさんあって、「こんな時代があったんだな」と、私の知らない父や母の姿がそこにあった。

そして両家のアルバムを並べて見ていると、不思議な感じがする。

場所は違えど、流れている時間は同じ。

服装だったり、車だったり、家の中の様子だったり、写真そのものの色合いだったり。

両家はまだ何のつながりもないのに、それぞれの場所で同じ時代を生きていた。

それぞれ別々に流れていた二つの家族の時間が、やがて私たちの結婚によって交わり、今では子どもたちもいる。

そう考えると、50年、55年という時間の長さを改めて感じる。

そして今回、何よりいいなと思ったのは、古いアルバムを開くという機会そのものだった。

普段、わざわざ昔のアルバムを引っ張り出して見ることなんて、そうそうない。

でも「お祝い会をしよう」ということでアルバムを開く。

そこには忘れていた出来事や、もう会えない人、懐かしい場所、若かった自分たちがいる。

写真を見ながら、またいろいろな話が始まるのだと思う。

お祝い会は来月。

でも考えてみれば、こうして古いアルバムを開いたところから、もうお祝いは始まっているのかもしれない。

古いアルバムって、いいものですね。

2026/08/18
心して食べる  

昨日のお昼は、大八食堂さんへ。

 

写真は「野菜炒め定食」です。

 

見てのとおり、かなりのボリューム。

 

運ばれてきた瞬間、

「これ、食べ切れるかな〜」

と、実は一抹の不安を感じてしまいます。

 

でも、昨日ももちろん完食しました。

 

大八食堂さんは、もうすぐ60周年を迎えようとしている老舗の食堂です。

 

そして実は、当社のごみ収集のお客様でもあります。

 

当社とのお付き合いは30年以上。

 

そう考えると、私たちはずいぶん長い間、大八さんから出るごみを収集してきたことになります。

 

お店が営業して、お客様がやってきて、ご飯を食べる。

その裏側では毎日ごみが出て、それを私たちが収集する。

 

そんな関係が30年以上続いてきました。

 

だからでしょうか。

 

最近、大八さんでご飯を食べるとき、少しだけ思うことがあります。

 

誤解を恐れずに言えば、

 

「あと何回、ここで食事ができるのだろう」

 

と。

 

もちろん、いつまでも元気に続けてほしい。

 

でも、60年近く続いてきたお店も、そこで働く人も、そして食べに行く自分自身も、ずっと同じではありません。

 

いつでも食べられると思っているこの野菜炒め定食だって、実は「いつでも」ではないのかもしれない。

 

そう思うと、一回一回の食事を心して食べようと思うのです。

 

昨日もそんなことを思いながら、山盛りの野菜炒めと格闘し、きれいに完食。

 

会計を済ませて帰ろうとすると、おかみさんが、

 

「これ、持っていって」

 

という感じで、この時期には珍しい大粒のみかんを、そっとくれました。

 

なんだか、うれしかったですね。

 

30年以上のお付き合いというのは、契約書や取引の記録だけに残るものではなく、こういう何気ないやり取りの中にあるのかもしれません。

 

ごちそうさまでした。

 

また食べに行きます。

2026/08/16
いい汗かいた、お盆最終日  

昨日は、鶴岡が世界に誇る赤川花火大会。

 

そして一夜明けた今朝は、花火の打ち上げ場の清掃です。

 

朝6時集合。

 

この清掃活動も、もう20年近く続けています。

 

いつものように赤川の土手を車で走っていると、何かが違う。

 

いつもなら、土手にはものすごい数の花火の残骸というか、細かな破片が散乱しています。

 

ところが、今回はほとんどない。

 

こんなことは、めったにありません。

 

聞けば昨日は、珍しく通常とは逆の「出しの風」。丘から海に向かって吹く風だったため、花火の破片のほとんどが対岸の観覧席側に落ちたのだとか。

 

そこで我々も、いつもの打ち上げ場側ではなく、対岸の観覧席側を清掃することになりました。

 

そこには地域のスポーツ少年団や中学生の姿も多く見られ、みんなで花火の破片を拾っていきます。

 

昨夜、あれだけ華やかだった赤川が、一夜明けると今度はたくさんの人の手で、いつもの赤川に戻っていく。

 

花火を打ち上げる人がいて、それを見る人がいて、そして翌朝、片付ける人がいる。

 

この朝まで含めて、赤川花火大会なのかもしれません。

 

お盆休み最終日、いい汗をかきました。

2026/08/14
Led Zeppelin IIIとHotel California  

今日は息子と中古レコード屋さんへ行った。

二人で棚を眺めながら、あれやこれやとレコードを手に取ってみる。

しかし、知っているジャケットなんてほとんどない。

今では音楽はサブスクで、聴きたいと思えばすぐに聴ける。

とても便利な時代になった。

でも昔は、音楽を聴くということ自体が、今よりずっと大切にされていたような気がする。

レコードを買って、家に持ち帰って、ジャケットから盤を取り出して針を落とす。

レコードを大事にするというのは、なんとなく昔の写真のアルバムを大事にする感覚に近いのかもしれない。

今では写真もスマホの中に何千枚とあるけれど、昔は一枚一枚を現像して、アルバムに貼って大切に残していた。

レコードも同じで、そこに入っている音楽だけではなく、ジャケットも、盤も、それを聴いていた時間も含めて大切にしていたのだと思う。

もっと昔まで遡れば、音楽なんて一部の貴族や裕福な人しか生で聴くことができなかった時代もあったのだろう。

そう考えると、音楽というものは長い間、大事に大事に聴かれてきたのだと思う。

それが時代が変わって、今ではレコードが時には捨てられ、中古レコード屋さんの棚に並んでいる。

そんなことを考えながら一枚一枚見ていると、見覚えのあるジャケットが出てきた。

レッド・ツェッペリンの『Led Zeppelin III』。

価格は1,000円。

1970年のアルバムだから、なんと56年前である。

もちろん私はリアルタイムの世代ではない。

でも高校生の頃、このアルバムのCDを買った。確か2,000円もしなかったと思う。さらにバンドスコアまで買った記憶がある。

今ならサブスクですぐに聴ける。

それでも、

「これ、レコードで聴いたらどんな感じなんだろう」

と思ったら欲しくなって、購入。

家に帰って聴いてみると、これが面白い。

CDで聴いていた頃より、さらに暴力的に響くのだ。

音が塊になって飛んでくるような感じがする。

そして初めて知ったのだが、このレコード、ジャケットにも仕掛けがある。

ジャケットの中の円盤を回すと、穴から見える絵柄が変わる。

高校生の頃にはCDで聴いていたから、そんなことは知らなかった。

そして息子が見つけたのが、イーグルスの『Hotel California』。

1976年発売。

今年でちょうど50年である。

実はこれも、高校生の頃にCDで聴いていたアルバムだ。

こちらはレッド・ツェッペリンとはまた違う。

ドン・ヘンリーのどこか温かみのある歌声を聴いていると、1976年という時代の空気まで入っているような気がした。

ベトナム戦争が終わった翌年。

そしてアメリカ建国200年の年。

もちろん当時の空気を私は知らない。

それでも今聴くと、いろいろな歪みや疲れを抱えながら、それでもどこかに希望を探しているような、そんな時代の匂いを感じる。

そしてふと気づく。

この2枚、どちらも私が高校生の頃にCDで聴いていたアルバムなのだ。

それを50歳近くになった今、高校生の息子と中古レコード屋で見つけて、今度はレコードで聴いている。

音楽そのものは昔と何も変わっていない。

変わったのは、聴いている自分と、その隣にいる人だった。

スマホの中の写真も、サブスクの中の音楽も、いつでも取り出せる。

でも、アルバムを開くことや、レコードに針を落とすことには、それとは少し違うものがある。

そこに残っているのは、写真や音楽だけではない。

その時代や、その時の自分まで一緒に残っている。

だからレコードというのは、単に昔の音楽を聴くためのものではないのかもしれない。

時間まで一緒に再生するものなのだ。