正月ということもあって、ネットフリックス三昧。友人に勧められた『葬送のフリーレン』を観始めた。
剣と魔法の世界。
勇者が魔王を倒し、世界は救われ、物語は終わる。
本来なら、そこで拍手をして幕が下りるはずだ。
けれど、この物語はそこから始まる。
エルフである主人公のフリーレンにとって、人の一生はあまりに短い。
十年一緒に旅をした仲間との時間も、彼女にとってはちょっとした出来事にすぎない。
だから当初、別れの重みも、後悔の輪郭も、はっきりとは掴めなかった。
一方で、人は変わる。
歳を重ね、立場が変わり、価値観が更新されていく。
変化の速さの中で、置いていかれたり、追いつこうと焦ったりしながら生きている。
フリーレンは、その速さに合わせようとしない。
代わりに、ゆっくりと歩き続ける。
そして言う。「遅すぎることはない」と。
この言葉が、不思議と胸に残った。
僕らの世代は、「何者かになりなさい」と強く言われて育ってきた。
結果を出すこと、役に立つこと、評価されること。
それが正解で、それ以外は遠回りのように感じていた。
けれど振り返ってみると、
与えられた評価や肩書きは、いつの間にか色褪せている。
手に入れたはずの「答え」は、次の瞬間には別の問いに上書きされていく。
フリーレンが教えてくれるのは、まったく別の価値観だ。
本当に欲しいモノとは、誰かから与えられるものではない。
それは、探し求めている時間そのものなのだと。
寄り道をし、立ち止まり、無駄に見えることを繰り返す。
探している最中は、不安もあるし、確信もない。
けれど、その時間だけは、後から奪われることがない。
何者かになれなかったとしても、
探し続けた時間は、確かにそこに残る。
それは誰かと比べるものでも、評価されるものでもない。
ただ、自分の人生の厚みとして積み重なっていく。
平和な時代のヒーローは、剣を振るわない。
世界を救うよりも、記憶を拾い、感情を学び、時間を抱えて歩く。
その姿は、派手ではないけれど、とても誠実だ。