町家カフェ「古今coconn」への古道具搬入から、もうすぐ1ヶ月。
その間、たくさんの方に手に取っていただいた無塗装の無垢材でできた木箱。
多くの方が、このシンプルで温かみのある木箱を本棚として活用しているようです。
私たちが扱う古道具は、合板でもなく、最新の工場生産品でもない。
そして、匠の手による一品物の高級品とも違う。
それでも、等身大の暮らしにしっくりくる、そんなモノたちが揃っています。
例えば、木箱。
無塗装の木肌が手に触れたときに感じるあたたかさや、やわらかさ。
それは、どこか人の気配を感じさせるような、素朴で心地よい感触です。
こうした古道具には、完成されすぎていない“余白”があるからこそ、
使う人それぞれの暮らしに合わせて変化していく魅力があります。
完璧ではないけれど、だからこそ、毎日手を加えて育てていける。
その感じが、まさに「手ざわりのある暮らし」を感じさせてくれます。
古道具には、時を経て、誰かの手に渡り、少しずつ味わいが増していく力があります。
そんな道具たちが、町家の古い空間に息を吹き込み、
今という時代と古き良きものとのつながりを感じさせてくれるのです。
「古今coconn」での体験を通じて、
その温もりや暮らしに寄り添う手ざわりを感じていただきたいと思っています。
その場所で、過去と今が交差する瞬間を、ぜひ体感してみてください。
今、暮らしに必要なのは、完璧でないものかもしれません。
等身大のわたしにぴったりのもの、
無理なく、日々の中で馴染んでいくものが、古道具にはあります。
最近、「正義」という言葉が気になるようになりました。
大げさなようでいて、日常の中にも「正義」はあると思うのです。
それはつまり、自分が信じている“正しさ”のこと。
私たちは誰もが、自分なりの正しさを持っています。
そして知らず知らずのうちに、「それが一番正しい」と思い込んでしまう。
でも、同じように相手にも、その人なりの正しさがある。
それがぶつかったとき、どうしても対立になってしまいます。
でも、「ああ、そういう考え方もあるのか」と思えたら、少しだけ気持ちに余裕が生まれる。対立の軸をほんの少しずらすだけで、心が軽くなることもあります。
鳥の目で俯瞰してみること。虫の目で相手の立場に立ってみること。
そんなふうに視点を変えることで、すっと肩の力が抜ける気がします。
でも、それができる時って、たいてい心に余裕があるときなんですよね。
最近、なんだか世の中がカサカサしているように感じます。
みんな余裕がなくて、自分のことで手一杯。
だからこそ、今こそ「整理」なのかもしれません。
モノを整理することは、頭や心を整えることにつながっています。
部屋が整うと、なんとなく気持ちも整ってくる。
そうして生まれた余白が、誰かの“正しさ”を受け入れるスペースになるのかもしれません。
今日は会社に行って、事務所まわりの大掃除。
まずは、毎年この時期恒例の、玄関テラコッタタイル掃除。
これまではずっとアルカリ洗剤を使っていたのですが、
今年は思い切って酸性洗剤に変更してみました。
業者さんに「テラコッタには酸性のほうが向いてますよ」と教えてもらって、
なるほどそれなら、と。
手にしたのは、毎度おなじみの亀の子ダワシ。
ごしごし、ひたすらごしごし……
気づけば2時間が経過。
仕上がりは上々。これまでよりも汚れ落ちが良く、タイルがワントーン明るくなった気がします。
ただし、手は荒れました。バッチリ。
このあと、ハンドクリームを三度塗りする羽目に。
続いて、つばめの巣があるテラスもお掃除。
こちらは糞でずいぶん汚れていたけれど、つばめの邪魔をしないよう慎重に。
気配を消しながらスピーディーに、ほうきをそっと動かす。
上からの視線(たぶんつばめ)を感じつつ、なるべく音を立てず、なるべく短時間で。
ちょっとした緊張感の中での掃除だったけれど、
なんとか、つばめたちの機嫌を損ねずに済んだ……はず。
会社の玄関は毎年こうして丁寧に磨くのに、
自宅の玄関はもう、いつ掃除したか思い出せないほど。
こういうところ、妻に見られたらきっと何か言われるだろうな……
そんな予感を抱きつつ、何も言われないうちに今日の掃除は終了。
手は荒れたけれど、玄関は気持ちよく仕上がりました。
さて、ゴールデンウィークも残すところあと二日。
ありがたいことに「ゴミ持ち込みできますか?」というお問い合わせもいただいていますが、
受付は5月7日(火)から再開となります。
今週は土曜日も受付しておりますので、ご都合に合わせてぜひご利用ください。
今年も、父と鯉のぼりのポールを立てた。
この行事は、もう15年近く続いている。
一人ではとても立てられない大きなポールで、二人の呼吸が合わないと倒れてしまう。
タイミングを合わせて、ぐっと持ち上げる。無言の共同作業だ。
うちの鯉のぼりは、父が私の息子のために買ってくれたものだ。
あのとき、父はどんな気持ちで選んだのだろう。
父はもともと、娘のほうを少し特別に可愛がる人で、
孫に対してもそれは変わらない。
だから、私の息子のために贈ってくれたことが、
少し不思議で、少し嬉しかった。
当時は、名前の入った鯉のぼりがまだ定番だった。
今見ると、空を泳ぐ鯉の腹にデカデカと息子の名前があって、ちょっと照れくさい。
でも、その“古さ”にこそ、時間の重みがある気がする。
ポールを立て終えたあと、風が吹くのを待ちながら鯉のぼりを見上げる。
父は何も言わないけれど、たぶんあの贈り物は、
孫へのもの以上に、「父になった私」への無言のエールだったのかもしれない。
毎年同じようで、少しずつ違う春の空。
今日もまた、変わらない風景の中に、静かな気持ちが流れていた。
昨日の寒さが嘘のように、今日はじんわり汗ばむ暑さ。ここ鶴岡も、季節がぐっと前に進んだ気がします。
そんな中、行政の方々や工業団地の代表と、軽く打ち合わせの時間がありました。テーマは地域の課題。特に、若者の流出をどう防ぐかという話は、皆さんそれぞれに思いがあるようで、自然と議論も深まりました。
「こんなネットワークが必要なんじゃないか」 「若い人たちが集まれるような拠点があったら」 「もう少し情報発信を強化してはどうか」
いろんな「足す」アイディアが出てきて、それはそれでとても前向きだと思います。地域をよくしたいという気持ちが伝わってきて、聞いていてうれしくなりました。
でもその中で、僕はひそかにこう思っていました。
「何かを加える前に、いったん引いてみる必要があるんじゃないか」と。
私たちが日々お伝えしている整理収納アドバイザーの理論でも、まず最初にやるのは“整理”、つまり「不必要なモノを取り除く」ことです。そしてその前には、「どうしたいのか」というビジョンを描く。これがあるからこそ、“今”を見直すことができるんです。
この流れで、ふと昔の友人の言葉を思い出しました。
「ラーメンの味も確かめないで、いきなり胡椒を振るやつって、ちょっと野暮だよな」
彼はそう言って、まずは一口、真剣にスープを味わってから箸を進めるタイプでした。たしかに、“味見もせずに足す”のは、自分の感覚を信じてないことの裏返しかもしれない。地域も同じで、「足さなきゃ」と焦る前に、まず今の味を確かめてみる。その方がずっと豊かだし、誠実だと思うのです。
もちろん、答えなんて簡単には出ません。でもこうした対話の場そのものが、地域を整理していくための大切なプロセスなのだと感じました。
帰り道、暑さに背中を押されて、アイスコーヒーをひとつ。苦味の中に少しだけ甘さを感じながら、「やっぱり足すより引く、かもしれないな」と、考え続けていたのでした。