庄内浜の初夏といえば、やっぱり岩ガキ。
「牡蠣といえば冬でしょ?」と思われるかもしれませんが、それは“真ガキ”の話。
庄内浜で旬を迎えるのは“岩ガキ”。春から夏にかけて冷たい雪解け水が流れ込むことで、身がぷっくりと太り、クリーミーで濃厚な味わいに育ちます。この時期にしか味わえない、まさに海の恵みです。
そんな岩ガキにまつわる、父の昔話をひとつ。
海辺の温泉街にあった父の実家は、決して裕福とは言えない家。けれど目の前には海がありました。海開き前のまだ冷たい磯に潜っては、牡蠣やワカメを採って空腹をしのいでいたそうです。
ある日、観光客がその様子を見て「その牡蠣、食べてみたい」と声をかけてきた。
父が焼いて差し出すと、その味に観光客は大喜び。
それを見た父少年、ピンときた。
「自分で食べるより、売った方がコスパがいいかもしれない」
そこからが父の真骨頂。
観光客が来そうな時間を狙って磯に潜り、網で牡蠣を焼く。
香ばしい香りが届くように工夫し、タイミングを見て、醤油をジュッと垂らす。
香りに誘われて足を止めた観光客に焼きたてを差し出せば……もう、完売。
もしかすると、父の“商いのセンス”は、この頃に芽生えたのかもしれません。
今、この季節に岩ガキを味わうと、父の話がふっと蘇ります。
磯の香りと、ジュッという醤油の音とともに。
でもね、本当に好きな人はこう言うんです。
「生で、レモン汁を搾ってどうぞ」と。
何にも考えず、ひたすら寝る。
この数日、それしかしていない気がする。
3回目のコロナを経て、体も頭もシャットダウンモード。
ただ眠る。食べる。水を飲む。
そんな動物的な時間を過ごしていると、
逆に自分の中に、静かなスイッチが入るのがわかる。
「さて、次は何だ?」
そう思った瞬間から、自然と次のミッションに向かって
淡々と準備を始めている自分がいる。
この感覚、昔はなかった。
イベントが終われば打ち上げたくなって、
何かがうまくいけば、誰かに話したくなって、
落ち込めば、誰かに慰めてほしくなった。
でも今は違う。
次のステージへ。
ただそれだけを、静かに見つめている。
浮かれないで生きていられるってのが、
実は自分にとって、一番の幸せなのかもしれない。
余計なアップダウンがないから、
ちゃんと味わえるんです。
毎日の小さな手応えとか、
ゆっくり治っていく体の声とか、
ごはんがうまいとか、
それが一番だってことを。
いつも、私の頭の中には“ビンゴ大会”のカードみたいなToDoリストがあって、
それを“ストラックアウト”の要領でシュバシュバとタスクを消していくのが日課です。
会議、資料、講話、連絡、現場確認、手配、ブログ……
ひとつずつ投げて当てて、消していくのが快感なんですね。
で、先週。
そのToDoの半分ぐらいが、一気にどさっと終わりまして。
気がつけば、リストはスッカスカ。
ビンゴ大会だったら「はいビンゴ〜!」って大喜びのはずなのに、
私の体はなぜかドッと重くなっていました。
“やること”があるうちは、
脳も体も“やるモード”になっているんだけど、
それが一気に終わると、急に電池が切れたみたいになるんですね。
それに加えて、日中の暑さと夜の涼しさ。
夏至とはいえ、こうも気温差があると体も迷子になりそうです。
——というわけで、今日はゆるめ運転で。
残ってるタスクも少しはあるけど、
それも“的外れ”にならないように、
今日はちょっと狙いを定め直す日にします。
「絶対に負けられない戦い」
そんな表現を、僕ら日本人はどうも好むらしい。
気づけば、自分の人生も、そんな“負けられない場面”に踊らされて来た気がする。
仕事、家族、地域の役割。
「ここは譲れない」「ここだけは…」と、自分に言い聞かせながら。
でも、ふと立ち止まって思う。
それは一体、誰との勝負だったのだろうか?
誰に勝つ必要があったのか。
勝ったところで、本当に得たかったものは手に入ったのか。
その答えが、実はずっと曖昧だった。
50歳を前にして、ようやく少しずつ見えてきた。
もう、誰かの尺度や物差しで自分の在り方を決めなくてもいい。
「自分はどうしたいのか」その問いを軸に選ぶようになった。
いや、もうすでに、選んでいる。
自分で選び、自分で納得し、自分でケツをまくる。
そんな生き方が、少しずつ自分の中に根を張っている。
勝ち負けじゃない。
どう生きて、どう終わるか。
腹をくくる先に、ようやく「自分らしさ」が見えてくる。
そんなことを
会社の経営というものを通して、僕は教えられた気がする。
社長業10年目の年。
ここまで来て、やっと本当の意味で「できる」と思えるようになった。
そして今、心から思う。
ピンチはチャンス。
何度も耳にする言葉だけれど、
実際にチャンスへと変えられる人は、“感度”が高い人だと思います。
ただ、厄介なのは、
その“ピンチ”が、ピンチらしく姿を現してくれないこと。
先日も、ある出来事がありました。
表向きはうまくいっているように見えて、実際、周囲からも「よかったですね」と言われた。
でも、内心、何かひっかかっていたんです。
言葉にしづらい、ざわざわした違和感。
結果として、その“ひっかかり”は的中しました。
あとから振り返れば、あれは明らかに「覆面ピンチ」だったのです。
「順調」とか「ラッキー」とか、
そう思っていた時こそ、疑ってみる冷静さが必要なのかもしれません。
感度を研ぎ澄ますって、
実は、違和感をスルーしないこと。
チャンスを掴む以前に、
その覆面の下にある“ピンチの顔”を見抜けるかどうか。
日々の暮らしのなかで、
そんな目線を持っていたいなと思います。