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毎日ブログ

2026/01/02
776/1000 新しい年は、これができてから始まる   

やっと本年の目標をビジュアル化しました。

これができないと、私の中では新しい年が始まりません。

毎年やっていることです。

新しい年に向かって言葉になりきらない目標を、

一度「見える形」にしてみる。

それは決意表明というより、

自分の現在地を確かめる作業に近い。

言葉だけで考えていると、

どうしてもぼんやりしてしまう。

分かっているつもりでも、

輪郭が定まらないまま日々が流れていく。

だから、ビジュアルにする。

書き出して、並べて、配置して、

少し距離を取って眺めてみる。

すると不思議なことに、

そこに「色」が現れてきます。

2026年の私のカラーは、

ゴールド × ブラックでした。

最初から決めていたわけではありません。

あとから、自然と浮かび上がってきた色。

ブラックは、削ぎ落とす色。

やらないことを決める覚悟。

余白をつくるための、静かな判断。

ゴールドは、積み重ねてきた時間や経験の色。

派手さではなく、

にじみ出る価値のようなものです。

これは、お片づけととてもよく似ています。

頭の中で管理しているつもりの空間も、

一度すべてを外に出すことで、

量も偏りも、色合いも、全部が見えてくる。

見えるから、選べる。

選べるから、整えられる。

そして、このビジュアルは

スマホの待ち受けにセットします。

一日に何度も目に入る場所。

自分を追い立てるためではなく、

「ああ、今年はこれだったな」と

静かに立ち返るための印です。

目標は、追いかけるものではなく、

暮らしの中に置いておくもの。

一緒に歩くもの。

これができて、ようやく、

私の中で新しい年が始まります。

2025/12/31
774/1000 娘ざかりの頼もしさ   

急に、ぼたぼたと音を立てるような雪が降ってきました。

そんな夜に、上京している娘たちが帰省しました。

せっかくだから、みんなで焼肉に行こう、という流れになります。

向かったのは、日頃からごみ収集でお世話になっている、馴染みのお店。


家族は総勢八名。

いつもなら席が分かれてしまう人数ですが、この日は運よく、六名席に八名がけ。

決して広くはありません。むしろ、かなり近い距離感。

その近さが、不思議と場の熱を高めてくれました。

この日は、いつも運転手役の私も飲むことに。

代行は前日にきちんと予約済み。

覚悟を決めて、本腰を入れて食べ、そして飲みました。

成人した娘たちと盃を交わす時間は、やはり格別です。

時間は、知らないうちにきちんと仕事をしていたのだなと思います。

その夜の会話は、誰か一人が主役になるものではありませんでした。

仕事の話、性格の話、昔の思い出。

「そんなこと、あったっけ?」と笑いながら、記憶をつなぎ直す。

それぞれが語り、それぞれが聞く。

互いの成長や変化を、みんなで確かめ合うような時間でした。

家族というチームのチューニングを、自然にやっていたのだと思います。

それにしても、娘ざかりの娘たちを見ていると、頼もしいの一言です。

よく食べ、よく飲み、よく笑う。

もう守るだけの存在ではなく、並んで時間を重ねていける人になっていました。

外はすっかり雪景色。

焼肉の煙と笑い声に包まれた店内は、驚くほどあたたかい。

雪の夜の焼肉は、家族の今を確かめる、静かで賑やかな時間でした。

2025/12/29
772/1000 「できると思ったらできる」という魔法   

年末ですね。

車通りもどこか落ち着きがなく、お休みに入ったからでしょう飲食店には長蛇の列が多く見られました。

当社も今日で粗大ごみの受け入れは年内最終日。

ありがたいことに朝から慌ただしく、気づけば一日があっという間に過ぎていきます。年末らしい風景だな、と思いながら現場を見ていました。

そんな忙しさの合間に、今日ひとつ、面白い文章を読みました。

「頭上運搬」という身体技法についての話です。

車や台車が使えない地域で、人が荷物を頭の上に載せて運ぶ。

アフリカや中南米などでよく見られる光景で、テレビなどで一度は目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。

調べてみると、この頭上運搬、日本では沖縄県でも行われていたことが分かっているそうです。

さらに興味深かったのは、その習得方法。

「誰かに教わった記憶はない」

「自分にもできると思ったら、できた」

経験者の多くが、そう語っているというのです。

考えてみれば、人が歩けるようになる瞬間も、これに近いのかもしれません。

何度も転びながら、ある瞬間ふっとバランスが取れて、「あ、いける」と身体が理解する。

理屈を学んだわけでも、十分な経験を積んだわけでもない。

けれど、「できると思えた」その瞬間に、世界が一段広がる。

知識や経験が大切なのは間違いありません。

でも、それ以前に

「できると思えるかどうか」

この感覚は、案外軽視できないものだな、と感じました。

さあ、新しい年はすぐそこです。

来年の目標も、完璧な準備が整っていなくてもいい。

まずは

「できると思ったら、できる」

その感覚を信じて、ひとつ試してみる。

年末の慌ただしさの中で、そんなことを考えた一日でした。

2025/12/27
770/1000 2025年に掲げた目標を振り返る   

来年の目標を、ぼんやり考えている。

その前に、今年の振り返りをしようと、日記帳をペラペラとめくってみた。

九月あたりからは、ずっと山の中にいた気がする。

そして十二月は、たたみ込むような大山。

正直、登っている最中は何度も「これはきついな」と思った。

それでも不思議なもので、振り返ってみると、ちゃんと向こう側に立っている。

どんな山でも、人は案外、越えてしまうものだ。


今年は七つの目標を掲げた。

結果だけ見れば、達成はゼロ。

ただ、0.8くらいまでいったものが三つある。

とはいえ、0.8と1.0は雲泥の差だ。

「ほぼできた」と「やり切った」は、似ているようで全く違う。


だから来年は、やり残した目標はそのまま引き継ぎ、

考えが変わったものは素直に変更する。

PDCAを、緩やかに回していこうと思う。

無理に回転数を上げなくてもいい。

日記をめくり、立ち止まり、少し修正する。

それくらいの速度が、今の自分にはちょうどいい。


今年、習字で二段という目標を掲げた。

結局これは、来年にお預けだ。

これもまた、高い山だった。

勢いでは登れない山。

毎日の積み重ねと、静かな集中が必要な山だ。


登れなかった山があることは、悪くない。

その山の高さを、ちゃんと知れた一年だったのだから。

来年は、すべてを制覇しなくていい。

たった一つでも、「ここは登り切った」と言える山があれば、それで十分だ。


ゆっくりでいい。

自分の足で、確かに登っていこうと思う。

2025/12/25
768/1000 空き家は罠か、チャンスか   

「空き家を活用して」

この言葉を、ここ数年で何度聞いただろう。

行政の資料、セミナー、補助金の案内。

まるで合言葉のように、このフレーズが繰り返される。

けれど私は、その言葉を聞くたびに、少し立ち止まってしまう。

全国の空き家は約900万戸。

空き家率は13.8%と、過去最高を更新している。

数字だけを見れば、

「家は余っている」「チャンスは山ほどある」

そう感じるのも無理はない。

しかし、法規制・老朽化・権利関係などをクリアし、

現実的に使える空き家となると、体感で1%にも満たない。

この数字と実感のズレこそが、

空き家問題のいちばん分かりにくく、厄介なところだと思っている。

価値があるなら、もう売れている

空き家には、空き家になった理由がある。

立地が悪い。

道路条件が合わない。

用途変更ができない。

相続が終わっていない。

ちゃんと調べれば、

「なぜ今まで使われてこなかったのか」は、だいたい見えてくる。

それでも残っているということは、

多くの人にとっては、価値が見えなかったということだ。

これは空き家に限った話ではない。

モノでも、仕事でも、事業でも同じだ。

本当に価値があるのなら、

もう誰かの手に渡っている。

リフォームすれば使える、の落とし穴

「直せば住めるんじゃないですか?」

現場では、よく聞く言葉だ。

たしかに、建物だけを見れば、そう思える家もある。

雨漏りはない。柱も立っている。外観も悪くない。

けれど問題は、建物そのものではない。

再建築不可。

市街化調整区域。

用途地域の制限。

消防法や旅館業法の壁。

こうした法の制約は、

どれだけお金をかけても、リフォームでは越えられない。

皮肉なことに、

本当に壊れている家より、

一見まともに見える家のほうが、

人を迷わせ、時間を奪うことも多い。

空き家は、誰にとっての価値か

誤解してほしくないのは、

空き家に価値がない、という話ではない。

才能のある人にとっては、大きなチャンスでもある。

法規制を読み解ける人。

行政との調整をいとわない人。

赤字の時間を耐えられる人。

使い道を一から描ける人。

そういう人にとっては、

誰も見向きもしなかった空き家が、

一気に意味を持つことがある。

ただしそれは、

誰にでもできる話ではない。


この構造は、空き家だけのものではない。

面倒だから避けられている仕事。

儲からなさそうで敬遠される分野。

分かりにくくて手を出されない領域。

そこには必ず、

「理由」がある。

だから残る。

だから安くなる。

だから、チャンスに見える。

価値とは、

楽に手に入る場所には、ほとんど残っていない。

ただし、ひとつだけ付け加えておきたいことがある。

不動産の評価は、

間取り、外観、築年数、立地、そして値段。

そうしたデータ化できるもので、ほぼ決まっている。

けれど、

窓から見える景色までは、ほとんど評価の対象になっていない。

遠くに見える山の稜線や、空の抜け。

そうしたものは、

査定書にも、価格表にも、ほぼ反映されない。

だからこそ、面白い。

数字だけを見れば、価値がないと判断される家の中に、

プライスレスな価値が、ひっそりと残っていることがある。

それは、現場に立たなければ分からない。

実際に窓を開け、風を感じ、景色を見ることで、初めて気づく。

罠か、チャンスか

空き家の現場には、

罠もある。

難しさもある。

けれど同時に、

言葉にならない感動に出会えることもある。

それは、

データからは見つからない。

机の上では、決して分からない。

だから空き家は、

一概に「ダメだ」とも言い切れない。

空き家は罠か、チャンスか。

その境界線は、

数字の外側に、

そっと残されているのかもしれない。

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