18/100 考えて装う
今日は、取引企業の代表を務められた方のお別れ会に参列してきた。
事前にいただいた案内には、ドレスコードについてこう記されていた。
「クールビズでお越しください」
お別れ会でクールビズ。
さて、どうしよう。
おそらく多くの方は喪服で来るだろう。
そんな予想はしていた。
実際、会場に着いてみれば、90%以上の方が完璧な喪服だった。
私も、いつもなら喪服を選ぶ。
それが一番間違いがない。
誰から見ても失礼がなく、何より自分自身が安心できる。
でも今回は、少しだけ冒険してみた。
ダークネイビーのセットアップに白いシャツ。
そして同じくダークネイビーのタイ。
もちろん、悪目立ちしたいわけではない。
人と違う格好をして、何かを主張したいわけでもない。
ただ、何も考えずに「お別れ会だから喪服」とするのではなく、案内にわざわざ書かれていた「クールビズで」という言葉について、一度考えてみたかった。
そして、考えたうえで今日この場所に来た、という自分なりの意思を示したかったのだと思う。
それにしても、なぜ90%以上の人が喪服だったのだろう。
もちろん、大切な方を見送る場である。
失礼のない格好をしたいという気持ちはよく分かる。
私だって、いつもならそうする。
でも、だからこそ少し考えた。
私たちは「こうしてください」と言われたことよりも、「普通はこうするものだ」というものを、ずっと強く信じているのかもしれない。
そして、その方が安心なのだ。
周りと同じなら間違いがない。
誰かから何かを言われることもない。
考えなくても、正解らしきものが用意されている。
でも、それを繰り返していると、いつの間にか「なぜそうするのか」を考えなくなってしまうのかもしれない。
これは服装に限った話ではない。
仕事でも同じだと思う。
「昔からこうしているから」
「みんながそうしているから」
「普通はこうだから」
それは、とても便利な言葉だ。
だけど、ときには立ち止まって、
「なぜ?」
と考えてみる。
そして、自分なりの答えを出してみる。
その答えが、周りと同じでもいい。
違っていてもいい。
大切なのは、違うことではなく、考えたことなのだと思う。
今日の私の服装が正解だったのかは分からない。
でも、案内を読み、故人を送る場について考え、自分なりに選んだ。
たかが服装。
でも私にとっては、ちょっとした冒険だった。

