昨日から、中学生の娘が修学旅行で東京へ行った。
空港まで送って行った妻の話によれば、
集合場所ではクラスメイトの男子が興奮状態で喋りまくっていたらしい。
「テンションが上がりすぎてて、逆にこっちが疲れた」と苦笑していた。
一方の娘は、いたって静かだったそうだ。
どこか淡々としていて、でもその落ち着きの中に、
ちゃんと楽しみな気持ちがにじんでいたようだ。
思えば、一年前のこの時期、息子も東京へ行った。
彼は出発前、スマホが禁止というルールに備えて、
「どう撮るか」にこだわっていた。
ネットで調べて、2010年製のソニーのコンパクトデジカメを中古で購入。
写りの“味”がどうこう言っていて、らしいなと思った。
今回、娘はそのカメラをあっさり借りていった。
ただし、こだわったのはカメラを入れる袋の方だった。
「この柄はちょっと派手」「これじゃサイズが合わない」
何度も入れ替えて、自分なりの“ちょうどいい”を見つけていた。
兄は“中身”、妹は“持ち方”。
同じ道具でも、選ぶ視点がまるで違う。
そしてもうひとつ――RIMOWAのキャリーケース。
兄は、私のものを何の迷いもなく引っ張って行った。
娘は「これ、男っぽいよね」と渋い顔をしつつ、最終的には持っていくことにした。
このRIMOWAは、本当に壊れない。
どこにでも行くし、何度使ってもへこたれない。もう10年以上使っている。
そういえば以前、義母もこれを持って京都の寺めぐりに出かけたことがあった。
婆さんにRIMOWAは似合わない気もしたが、妙に楽しそうに転がしていた。
兄が使い、妹が使い、義母まで使った。
少しずつ、家族の旅の記憶がこのケースに溜まっていく。
今ごろ娘は、東京のどこを歩いているのだろう。
スマホは禁止だから、連絡はない。
でもそれでいい。
何を見て、どう感じて帰ってくるのか。
その答えが“ふつうだったよ”の中に、きっと隠れている。
今日で、庄内地区の不法投棄防止を呼びかける春の合同パトロールが終了した。
県・市町村・県警、そして私たち廃棄物処理業者がチームを組み、車で地域を巡回する。
この時期の庄内は、新緑が本当に美しい。
毎年のことだけれど、毎年ちがって見える。
今年は特に、光の具合がやさしくて、ただ車窓から景色を見ているだけで、心が少しほぐれていく感じがあった。
そして今朝、ふと感じたことがある。
海岸をランニングできること。
そして、生まれた町で今も暮らしていること。
それって実は、とても幸せなことなんじゃないかと。
波の音を聞きながら、誰にも邪魔されずに海沿いを走る時間。
この景色、この空気、この距離感。
いつもそこにあるものだけど、いつの間にか“当たり前”だと思っていた。
でも、本当はまったく当たり前なんかじゃない。
こうして走れる体があって、走れる場所があって、
見慣れた風景の中に自分が居るということ。
それは、何かに守られているような感覚すらある。
パトロールで見た景色も、朝のランニングで感じた空気も、
何も特別じゃないけれど、
「ありがたいな」と思えることが、今日の一番の収穫だった。
南は大阪、北は青森。
そして講師の先生は金沢から。
整理収納アドバイザーフォーラムin東北は、まさに「全国各地から、鶴岡へ」という言葉がぴったりのイベントになった。
無事に終了した今、これからは動画配信用の編集作業が始まる。
ここからが、もうひと山。
今回のフォーラムで表立ってはいないけれど、掲げていた大きなテーマは――「命を守る」。
整理収納という行為が、防災や災害時の安全にどうつながるか。
能登地震以前の取り組みと、これから地域で何ができるか。
それらを丁寧に見つめなおす時間だった。
人と人とのつながり、地域の力、そして“今を生きる”ということ。
それはすべて、命を守るという目的のもとにある。
決して特別な人だけがやることじゃなくて、
それぞれの暮らしの中にこそ、備えと気づきがある。
講師が仰った、心に残った言葉がある。
「早く行きたいなら一人で行け。遠くまで行きたいなら皆んなで行け」
アフリカの諺らしい。
これまで私は、一人で突っ走ってしまう場面も多かった。
でも今回のフォーラムは、まさに“皆んなで行く”という実感に満ちていた。
講師も、参加者も、関係者も、そして何より、運営スタッフのみんな。
あの人たちがいなければ、このフォーラムは成立しなかった。
走って、支えて、気を配って、笑って、考えて。
そのすべてが、「命を守る」というテーマに、静かに力を与えていたと思う。
この場を借りて、心からのありがとうを。
今、でっかいプロジェクトに取り組んでいる。
でも、やってるのは私一人だ。
設計図作りって、やっぱり一人がいい。
もちろん関係者にはヒアリングしているけれど、あれこれ組み立てたり線を引いたりするのは、どうしても一人でこねくり回す時間になる。
だからなのか、ふとした瞬間に「もう無理だ〜」って、つい口から漏れる。
何度もあった、そんな瞬間。
だけど不思議と、そのたびに助けてくれる人が現れる。
自分で呼んだ覚えはないのに、ちゃんと絶妙なタイミングで。
なんだろう、これは。
最近は、「ああ、きっと守られてるんだな〜」と、ちょっと牧歌的な安心感すら湧いてきている。
昔の私なら、もっと気負っていたかもしれない。
全部自分の力で、歯を食いしばってやるべきだって。
でも今は、違う。
私は一人だけど、一人じゃない。
そんな矛盾が、今の私にはちょうどいい。
きっとこのプロジェクトはうまくいく。
だって、私は知っている。
「無理だ〜」と漏れた、その先で待ってる人たちがいることを。
これまで私が迷ったとき、よりどころにしてきたのは「カタキ」の方だった。
“カタキ”とは、簡単に言えば**「難しい方」**。
楽な道より、骨の折れる道。
遠回りでも、手応えがありそうな方。
そういう道を選んでおけば、何となく「逃げてない気がした」からだ。
けれど実際は、その難しさに身を隠していたことも多かった。
「こっちの方が大変だから、きっと正しい」
そんなふうに思い込んで、でも本音では、本当に向き合うべきことからは逃げていた。
そのことに気づくたび、なんとも言えない罪悪感が残った。
難しい方を選んだ自分に酔っていたんじゃないか?
「正しい選択」という仮面で、どこか逃げていたんじゃないか?と。
そんなとき、『宇宙兄弟』というアニメに出会った。
その中で、主人公の六太が恩師から言われた言葉がある。
「迷ったときは、ワクワクする方を選べ」
私はこの言葉に、ハッとした。
自分が「難しい方」にばかり目を向けていたのは、
本当は“ワクワク”に自信が持てなかったからかもしれない。
心が動く方を選ぶことに、どこか後ろめたさを感じていたのかもしれない。
そして昨日、講演会で出会った言葉が、
そのふたつをすっと包み込んでくれた。
「迷ったら、両親が笑顔になる方を選びなさい」
この言葉には、計算も言い訳もいらなかった。
私の両親は今も健在だ。
どちらを選べば、あの人たちは笑ってくれるか。
その顔を思い浮かべれば、不思議と答えが出てくる。
“難しさ”や“ときめき”じゃなくて、
もっと深いところにある安心感。
それが、今の私にとっての道しるべなんだと思う。
これからも迷うことはあるだろう。
そのたびに、私は静かに自分に問いかける。
「両親が笑うのは、どっちだろう」と。