今年も、父と鯉のぼりのポールを立てた。
この行事は、もう15年近く続いている。
一人ではとても立てられない大きなポールで、二人の呼吸が合わないと倒れてしまう。
タイミングを合わせて、ぐっと持ち上げる。無言の共同作業だ。
うちの鯉のぼりは、父が私の息子のために買ってくれたものだ。
あのとき、父はどんな気持ちで選んだのだろう。
父はもともと、娘のほうを少し特別に可愛がる人で、
孫に対してもそれは変わらない。
だから、私の息子のために贈ってくれたことが、
少し不思議で、少し嬉しかった。
当時は、名前の入った鯉のぼりがまだ定番だった。
今見ると、空を泳ぐ鯉の腹にデカデカと息子の名前があって、ちょっと照れくさい。
でも、その“古さ”にこそ、時間の重みがある気がする。
ポールを立て終えたあと、風が吹くのを待ちながら鯉のぼりを見上げる。
父は何も言わないけれど、たぶんあの贈り物は、
孫へのもの以上に、「父になった私」への無言のエールだったのかもしれない。
毎年同じようで、少しずつ違う春の空。
今日もまた、変わらない風景の中に、静かな気持ちが流れていた。