「袖振り合うもの多生の縁」この故事、私は「袖擦り合うも多少の縁」と間違って認識していました。昨日開催の講演会にて講師より教わったのですが、まず袖は振り合っていて、多少というのは多生その他、他生とも言うとのことです。多生とは仏語で、生まれ変わりつまり輪廻を意味しており、別の表し方としての他生は過去や未来や前世・来世を意味するのだそうです。
私はこれまで、「ちょっとした出会いも大切にしよう」というようなニュアンスでこの言葉を捉えていたのですが、本来の意味は違っており、本来は「些細な出来事もそれは偶然に起こっているのではなく、前世(または来世まで続く)からの深い因縁で結ばれている」というもののようです。
人との出会いというのは確かに不思議で、それは一緒にいる時間でもなく、物理的な距離でもなく、なんというか魂の繋がりのようなものを常に感じることができる人っているなと感じます。それが多生・他生の縁と言うのでしょうか。
そんな深いご縁を持つ人とどれだけ出会えるのか。人生の醍醐味って本当はこういったところにあるのかもしれません。まずもって、一番身近な家族・会社のスタッフとの多生・他生の縁を大切にして、今日も行って来ま〜す。