夏休みも終わり、今日から高一の息子は登校です。最後まで手をつけられずに残っていたのは、やはり読書感想文でした。机に向かう姿を見ながら、かつて自分も同じように最終日の夜に原稿用紙と格闘していたことを思い出します。
今回、父である私が薦めたのは三島由紀夫の『金閣寺』でした。若いころに衝撃を受けた作品で、息子にもぜひ触れてほしいと思ったのです。しかし実際に読み進めてみると、言葉の難しさや世界観の重さに心が折れてしまったようで、途中で断念。やはり読書というのは、人に押しつけられて味わえるものではないのだと、あらためて気づかされました。
そのとき私は冗談めかして「なあ、あんな筋肉ムッキムキのおじさんが、こんなに繊細な文章を書くと思わなかったろ?」と聞いてみました。息子は苦笑しつつも同意。しかし一枚上手で、「切腹の時に脂肪が飛び散るのを嫌って鍛えていたそうだよ」と返してきました。なかなか勉強しているようで、父としてはちょっと舌を巻きました。
そして急遽彼が選んだのが小川洋子さんの『博士の愛した数式』でした。記憶が80分しかもたない博士と家政婦、そして少年の交流を描いた静かな物語です。数学が苦手で文系を選んでいる息子ですが、仲良くなる友人はなぜか理系ばかり。最近は「2年生から理系に進むべきか」と悩んでいます。先生からは「得意・不得意で決める必要はない」と助言を受けているものの、まだ心は揺れているようです。
そんな息子にとって、この物語は大きな発見をもたらしたようでした。博士が数式を通じて見ている世界には、冷たい記号ではなく、人の心や関係を映し出す温もりがある。数字の中にもドラマやストーリーが潜んでいる。そのことに気づけたのは、理系に苦手意識を持つ彼にとって思いがけない収穫でした。
昨夜遅くまで原稿用紙に向かい、何度も書き直しながら仕上げた感想文。仕方なく読んだ本ではなく、自分で選び取った一冊だからこそ、最後まで向き合えたのでしょう。読書感想文とは、結局のところ「何を読むか」よりも「どう選ぶか」に意味があるのかもしれません。
夏休み最後の夜、息子の背中を眺めながら、そんなことを感じたのでした。