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581/1000 物は語らず、私たちに問う 

581/1000 物は語らず、私たちに問う 

物は語らない。

そして、語れない。

だから私たちは、物を「思い通りにできる存在」だと信じている。

使うもよし、仕舞うもよし、処分するもよし。

何ひとつ、文句を言ってこないからだ。


けれど、そうやって“思い通り”にした結果、

押入れの奥で、棚の上で、物たちは静かに時を止めてしまう。

まだ使えるのに、使われない。

生かされず、ただ「取っておかれている」。


それは、死蔵された命に似ている気がする。


私は、物にだって“役割”や“願い”のようなものがあると感じている。

食器は食卓で、服は体に寄り添って、

家具や道具は日々の営みを支えるために、生まれてきた。

なのに、それを奪っておきながら、

「捨てるのはもったいない」と自分に言い訳して、閉じ込めているのではないか。


一方で、「我が子」はどうだろう。

語る。語りかけてくる。

そして、決して思い通りにはならない。

心配し、悩み、時に腹を立てながら、

それでも私たちは子を見守る。

なぜなら、その存在に「意思」があり、「未来」があると知っているから。


物には意思も未来もない、と思われがちだけれど、

実は私たちがそれをどう扱うかで、

その“命の行き先”を決めてしまっているのかもしれない。


だから私は、物にも少しだけ、子に向けるような慈しみの目を向けたいと思う。

ただ便利だから、役に立つからではなく、

“今、ここで生きているか?”と問いかけるような目で。


子どもを押し込めて育てることができないように、

物だって、閉じ込めておいてはその価値を発揮できない。


今日も、手に取る。

使ってみる。譲ってみる。

そして、ときには「ありがとう」と言って手放してみる。


物は語らないけれど、

私たちの手の中で、その沈黙が意味を持つときがある。