子どもの頃、自分の中に“ちょっと得意なこと”があるだけで、
なんとなく自信が持てた時期があった。
誰かに褒められるたびに、
「自分って、少しはすごいのかも」と思えた。
でも、あるとき気づく。
上には上がいる。
自分の「得意」は、案外通用しない。
その瞬間、自信が少しずつ崩れていく。
それ以来、本気を出すことが、少し怖くなった。
でも、たぶんそれ以上に怖かったのは、
自分の感情を表に出すことだったのだと思う。
悔しい、恥ずかしい、怖い。
そんな気持ちを見せたときに、
「弱いと思われるんじゃないか」と不安だった。
だから私は、感情を隠すために、
強がったり、笑ってごまかしたりする術を身につけていった。
ある日、信頼している人に言われたことがある。
「なんでそんなに平気そうな顔してるの? そんなに強くないくせに」
その言葉が、心に引っかかった。
たしかに私は、鎧のようなものをまとっていたのかもしれない。
大人になった今でも、何かに向き合おうとするとき、
背中の奥に、ゾワッとするような違和感が走る。
あの感覚は、長い間「不安」や「気持ち悪さ」として処理していたけれど、
最近になって、少し見方が変わった。
あれは、もしかしたら――
“伸びしろセンサー”なのかもしれない。
感情が動くとき、
自分にとって大事なものに近づいたとき、
そのセンサーがそっと知らせてくれている。
「ここを越えたら、変われるかもしれないよ」と。
だから最近は、センサーが反応したときこそ、
感情を押し殺すのではなく、少しずつ表に出してみようと思っている。
それでも迷うときは、
誰かに薦められたら、あえて乗ってみる。
ひとりじゃ進めないときほど、
差し出された言葉に乗っかることが、自分を広げるきっかけになることもあるから。
感情を出すのは、今でも少し怖い。
でも、怖いままでもいい。
その先にある“ちょっと新しい自分”に出会えたら、それで十分だと思っている。