今日ラジオで、「植物は飢餓状態になると超音波を発する」と知った。乾いて水を欲しがるトマトが、目に見えない小さな音で助けを求めているという。人間には聞こえないけれど、動物や機械には感知できるらしい。
その話を聞いて、妙に心に残った。人も、誰かに気づいてほしくて、目に見えないサインを出していることがあるのではないか、と。無言のまま、何かを知らせるように。気づかれないそのサインは、まるで宙に浮いた音のように、静かに漂っている。
人は誰かとのつながりの中で、安心を得る。信じられる相手、落ち着ける場所、ことばのいらない時間。そういった「心地よく頼れるもの」があって、ようやく自分を保てる。けれど、つながりが持てないとき、人は代わりの何かにすがってしまう。スマホやお酒、食べもの、過剰な仕事や、誰かで埋めようとした孤独。それらはほんの一時、気をまぎらせてくれるだけで、ほんとうにほしいものとは少し違う。
そう考えているうちに、ふと身のまわりの「物」にも目が向いた。長く使っているマグカップの欠けた口元、やけに音の大きくなった冷蔵庫、なぜか目につくまま放っていた靴。もしかしたら、物たちもまた、何かを知らせようとしていたのかもしれない。ただの劣化や故障ではなく、「そろそろ休ませて」とか「ありがとう」といった、小さな声で。