1月も折り返し、2月になれば我が家では雛飾りの準備。「子供の成長を願って」という尊い習わし・文化も、義務的、形骸化していると言わざるを得ない現代かもしれない。
あまり関心を寄せない子供たちを前に、何のため誰のためにやっているのだろう、と感じてしまうことも…。モノは活かしてなんぼ、モノには神様が宿る。
私の母は、今年も雛人形は神様だからと毎日お供え物をするのだろう。雛人形は活かされているか?自分に問いかける。せっかくの大切な贈り物。今年は、何かお雛様も喜ぶ仕掛けを考えてみよう。
物質的な豊かさに反して、心の豊かさは薄れて行く。おっかない事だ。そうやって感動や感謝が失われて行く。
ダンボールに入れっぱなしの雛人形を前に、ため息を付くお年寄りを多く見てきた。飾る気力も、飾る場所も無い。しかし捨てるという選択も無い。空き家に残された雛人形。「雛人形を早くしまわないとお嫁に行けないよ」なんて言っていた人たち。
アンカーズにもたくさんの雛人形が持ち込まれる。湿気とカビだらけのダンボールにひっくり返った、右大臣。
「お疲れ様でした」たくさんの幸せを運んでくれたのだろう雛人形たちも、神主さんの祝詞と共にその役目を終える。